第二章7


「面白い仮説ではあるけれど、それが確実にそうだと言える証拠がないからねえ……。証拠のない仮説って、誰でも言いたい放題だからね」

 その通りだ。だって、仮説というのは好き勝手に言えるから仮説と言うのであって、仮説自体を好き勝手に提言出来なかったら何の意味もありゃしないだろうな。
 まあ、ぼくはあまり自分から身を乗り出して話をすることはしないのだけれど――だって面倒臭いし。人生は自分が主役だ、などと言われることもあるが、結局誰かの人生の脇役であることも間違いない訳だし、そこについて延々と語られても困る。主役と脇役をダブルキャストで演じているんだぞ? それはそれで嫌じゃないか。仮に出演料が貰えるなら関わった人間分のギャラを貰いたいよ。

「トゥルーマン・ショーみたいなこと言わないでよ……。第三の壁を知覚するのも悪くないけれどさ、そこについて討議する必要性もないでしょう?」

 トゥルーマン・ショーって人生全てをテレビショーにされていた人間の話だったっけ。意外とそういう考えは多いもんで、例えば認識外の存在が世界を監視しているだとか、実はこの世界は水槽の中に浮かんでいる脳味噌が見ている世界だとかあったりする。けれども、それを認識することは当然出来ない訳で――出来たらそこで物語は終わっちまうだろうし――。最近で言えばマトリックスもそうだったかな?

「トゥルーマン・ショーからどんどん話題がズレているけれど……、まあ、その通りよね。人間が実は誰かに監視されている――なんて話は題材として良く上がってくるし、作品としても作りやすい。確かあれは良く出来た作品だと思うのよ。コマーシャルを挟めないから人生の合間に商品を使って宣伝するとか。確か会話に商品の紹介を入れたり、使う食材のパッケージがカメラに映りやすい画角に入れておいたりとか。でもそれで違和感を覚え始めちゃうのよね。確か明らかにおかしいタイミングで商品のコマーシャルを入れてしまったんだったかしら」
「トゥルーマン・ショーに詳しいな……。そう、確かその通りだよ。で、亡くなったはずの父親と感動の対面をするんだったかな。ああいうドタバタ展開も視聴率を念頭に置いた今のテレビ業界を現しているみたいだよな。あれ、視聴率低かったらどうなっていたんだろうね? 結局は海の向こうに壁を見つけていつもの挨拶をして向こうに――つまり現実世界に消えていく訳だけれど、果たして彼はその後その世界で生きていけたのかね? 何せ人生をテレビショーにさせられた訳だし、支障が出て来てもおかしくないと思うけれどね」

 それのオマージュで様々な作品に登場することも多いけれど、あの作品は奇抜だったが故に人気になったんだろうな。カルト的人気とは表せないと思うし。

「確か……わたしの記憶が確かなら、主役の俳優がトゥルーマン・ショーは最早現実に追いついてしまっていて、全世界で放映されるテレビショーに参加したいと大量の人間が壁の内側に入ろうとして、結局主人公は孤立するだろう……なんて言われていたかしらね」

 滑稽ではある。今やスマートフォンで簡単に動画や生放送を撮影出来て、それをインターネットで何十億人にも見てもらえる時代になってしまっているのだ。しかし、それが叶うのは僅かな人間で、その人間も類い稀なる才能や死に物狂いの努力によって成し遂げられることであって、だったら努力もせずに延々と全世界の人々に見てもらえるトゥルーマン・ショーに参加する人も続出するかもしれない。
 だって自分の生活をただ撮影してくれて、プライバシーが消滅した代わりにある程度の安全を保証してくれるというのだから。

「人間は、時折意味が分からない行動に走るものだけれど、今の時代に関しては意味が分からなさ過ぎると思うわ……。科学技術が進歩し過ぎたのに人間は進化しきっていないんだもの。正確には、人間は最早退化していると言っても過言ではないと思う」
「否定はしないし、耳が痛くなる発言だとは思うけれどね……。別に悪くないと思うよ? このまま緩やかに人間が衰退していったとしても、ぼくが生きているうちにそうはなりやしないだろうし。だったら緩やかな衰退を望むよ、それによって得られるものが努力した未来とかけ離れたものだったとしても」



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