母を訪ねて何千里?・3 (メニュー:力うどん)


 シスターが日記を持って戻ってきたのはそれから十分後のことだった。紅茶を飲みながら優雅に待機するのもなかなか乙な物ではあったけれど、あんまりそこで時間を潰すのも宜しくない。物資は無限にある訳ではないからね。
 ティータイムも程々に切り上げようとした矢先、

「大変お待たせいたしました。……こちらが日記になりますね」

 シスターが持ってきた日記は、かなり年季が入っていた。草臥れているというか何というか――昔から書いているのだろうか?
 日記を受け取ると、俺は質問する。

「見ても良いのか?」
「構いませんよ、減る物でもありませんから」

 じゃあお言葉に甘えて――そう言いながら、俺は日記をペラペラと捲り始めた。
 そこには日常のことが事細かに書かれており、読んでいるだけで自分もその情景に迷い込んでしまうような、そんな感覚に陥る程だった。

「……いやはや」

 読み終えると何処か満足感があった。
 ただの日記だったはずなのにな、幾ら何でもオーバー過ぎるかもしれないけれど、そんなものがこんな異世界の荒れ果てた場所で読めるとは思いもしなかった。
 或いはあんまり考えたことがなかっただけで、実は結構そういったものがあちらこちらに潜んでいたのかもしれなかったけれど、そこについては明言を避けておくこととする。

「……どうでしたか? 何か気になることでもあれば、遠慮なくお申しつけ下さい。それとも、問題はありませんでした?」
「何もなかった、と言うと嘘になってしまうので……、ただ、一言だけ言うとするならば」
「――ならば?」
「……あなた、本当にこの時代の人間ですか?」

 言ったのは、リーサだった。
 よく考えれば、リーサは魔女だ。きっと俺達よりも先に気付いていたのかもしれない。
 ……だとすれば、俺達があまりにも気付くのが遅くて、漸くここまで辿り着いたかぐらい達観して話を進めている可能性すらあるな。

「……え?」
「この世界に来て、ずっと違和感がありました。ケイタ、あなただって気付いていたのではありませんか? この世界は何処か歪であると」
「歪かどうかは分かんないけれどさ……何処か不思議な感覚はあったんだよな。何というか――都合が良すぎるって言うのかな。荒れ果てた世界で、そんな都合よく子供を匿う修道院が存在している? いや、それだけじゃない。この修道院には……シスターしか居ない。シスターしか居ないし、何処かに誰かが居るようにも見られない。でも、沢山の子供を育てることが出来る。そんなの、物理的に不可能だ。金銭面でも、食料の面でも」
「い、いや、しかしこの修道院には大量の備蓄が……」
「ならば、見せていただけますか? その大量の備蓄とやらを」

 この世界には、拭いきれない違和感がある。
 そしてその違和感を拭い去るためには――このシスターから情報を聞き出さねばならない。
 シスターは至極簡単に、慣れている動きを見せて廊下へと向かっていった。
 俺達も付いていく。
 シスターはやがて一枚の扉の前に辿り着き、立ち止まった。

「……どうしたのですか。開けてもらえませんか?」
「あ、あの、どうしても……どうしても、ここを開けないといけませんか。この先に食料が大量に備蓄されているんです。それで何とか納得してもらえませんか……」

 いいや、駄目だね。
 俺はそのままドアノブに手をかけて――そして思い切り扉を開けた。
 その先に広がっていたのは、無だった。
 或いは、闇と言えば良いか。永遠にも続く闇が、部屋の外に延々と広がっていた。
 しかしこれで、俺は確信を持つことが出来た。

「……そりゃあ、そうですよね。必要のない空間なんて、わざわざ描写しなくて良いんですから。どういうメカニズムかは分かりませんが、描写することで何か埋められてしまうんですかね?」
「……ケイタ、リーサ。さっきから何を言っているんだよ。さっぱり結論が見えてこないぞ!」

 シュテンはやっぱり分からないか。
 鬼だから仕方ないかもしれないな。こういう世界には馴染みがないだろうから。
 しかし、俺は――現実にこれを見たことがある訳ではないけれど――馴染み深いものであることは間違いなかった。
 オロオロすることもなくただ俯いているだけのシスターに、俺は問い掛ける。

「……この世界は、閉ざされた世界だったんですよね?」

 核心を突いた発言だったかもしれない。
 しかしてそこまで突き詰めないと、何も始まりはしないし終わりもしないだろう。
 シスターは俯いていた。ずっとこちらを見つめることなく、何を考えているのだろう。
 しかし――反応を示したのは、リーサだった。

「……ケイタ。違う、違うんだよね。惜しいところまでは言ったんだけれどさ」

 リーサ、お前はいったい何が言いたいんだ?
 だって、シスターがこの世界の存在ではなく、この世界がシスターによって作られた閉ざされた世界であるということを言いたいんだろう?

「半分正解、だけれど半分不正解。つまりはどういうことなのか、少しはきちんと物事を考えてごらん。それに……私は一度もシスターがこの世界の元凶ではないとは一言も言っていないよ?」
「……何だって?」

 流石にそれは想像していなかった。
 というか、ずっとシスターが悪いとばかり思っていたのだが。

「シスターは寧ろ被害者だと思うな。いや、或いはこの世界から抜け出そうとしたのではなく、自ら進んでこの世界に立ち入ったのかもしれない。理由についてはつまびらかにする必要はないと思うけれど、とにかく、シスターが犯人という推理は早計すぎると言っても差し支えないだろう」

 じゃあ、誰がこの世界を作り出したんだ?
 俺の表情を見て、リーサは深々と溜息を吐いた。

「……未だ分からないのか、ケイタ。この世界にやって来た理由は、何だったか。そこから考えれば答えは自然に見えてくるはずだけれど」

 まさか。

「そのまさかだよ。……ね、おちびちゃん?」

 リーサは踵を返す。
 するとそこにはいつの間にか――俺達をこの世界へ招き入れた少女が立っていた。
 
「……ええと? つまり、どういうことなんだ?」

 状況を把握出来ていない訳ではないのだが、整理が付かない。

「未だ分からないの? ……何というか、ケイタの居た世界ってあまりにも平和ボケしていたのね。平和にどっぷり浸かりすぎてこういう状況を理解出来なかったりするのかしら?」

 そこについては痛いところを突いてくるね……、まあ概ね同意するといったところだろうか。実際、最近は隣国が戦争をしているというのに国民は平和ムードそのものだからね。そんなこと有り得るのか? って話ではあるけれど、少なくとも感染症の方が重要だったりするのだろうし。

「……そういうものなの? 普通、隣国で戦争が起きていたら軍備を強化するものではなくて?」

 色々事情があるんだよ、それは。
 いつか落ち着いたときにちゃんと話してやるから、今はこの場をどうするか考えよう。

「……どうして気がついたの?」

 待ってくれていた少女は、ぽつりとリーサに問いかけた。

「正確には、最初から。けれど、確信に変わったのは……ついさっきかな」

 ついさっき?
 一体いつのタイミングだったのだろうか。

「……はあ、ケイタ、いつまであなたはそう思っているのかしらね?」
「平和ボケしているのは重々承知の上、だよ。何せ隣国が戦争を吹っかけても特段自分事にしない国だからな」

 まあ、色々な問題があって声を大に出来ないのかもしれないけれどさ。
 俺だって、あの国の平和ボケっぷりがヤバイことぐらいは分かっている。どれだけ平和な世界だって、大なり小なり諍いは起きるもんだっていうのに、それが絶対に起きないという謎の自信がある人間が多過ぎるんだからな。
 ……閑話休題、話が逸れに逸れた。

「……やはり魔力が分かる人間は連れて行かない方が良かったのかもしれないね。今更気付いても、時を戻すことは出来ないのだけれど」

 少女は深々と溜息を吐いた。

「しかし、このまま進めるのも難しいのかもしれないし。いや、どうしたら良いのか」
「何故、あなたはこの世界を作り上げたの? ……概ね、予想は出来ているけれど」

 リーサの問いに、少女は答えなかった。
 答えたところで何も変わらないと悲観していたのか、或いは答えの内容を吟味していたのか――それはその表情から感じ取ることは出来ないのだけれど、とにかくここから脱出することを最優先にしなくてはならないとも思った。

「答えないのなら、話を進めてあげる。……きっとあなたは、友達が欲しかったのでしょう?」
「友達?」

 友達が欲しいために、こんな空間を作ったのか? だとしたら狂っている。

「……狂っている。そうね、確かにその通りかもしれない。けれど、私にはこれをするしか道がなかったの。貴方達にあれこれ言われるつもりは何一つないわ」
「じゃあ、どうすれば良いんだよ」

 問題はそこだ。
 しかし感じからするとそこまで少女は敵対心を持っているようには見受けられない。何というか、こちらに助けを求めているような気も……。

「……そういうところは直ぐに理解出来るのもどうかと思うけれど、まあその通りね。実際、この子は敵対心は持ち合わせていないでしょう。持っているならば、もっとこちらに悪影響を及ぼしてもおかしくはないんですから。でも、それがない。寧ろ、この状況でさえも容認しているとするならば……」
「……少女はこの空間から逃げ出したい、と思っている?」

 見ると、少女はずっと俯いていた。
 しかしそうだとするならば、何故もっと早く教えてくれないものなのか……。

「分からないの? 要するに、出来ないように仕向けているのでしょう。精神操作の魔法を使えるのならば、良く有りがちなパターンね。……とはいえ、実際それが何処まで使えるのかなんて考えたこともなかったけれど、彼女に魔法をかけた術者は相当な魔法の使い手であることは間違いない……」
「魔法を解除することは?」
「先ずは魔法を解析しなければ何も始まらない。だから一先ずはここに居てもらうことになるかしらね。だって他の世界に悪影響を及ぼすとも限らないのだし」
「そうか。……でも、仕方ないよな。それしか道筋がないんだったら、それに従うしかない」
「……まあ、私が気になるのはそれよりも何の目的で彼女にこんな魔法をかけたか、ということではあるのだけれどね。簡単に解析するならば、対象が何らかの形で閉じた世界を作り上げて、その後はどうするつもりなのか? 今のところ害はなさそうだけれど、もしかして捕食も有り得たのかもしれないわね。……魔力を作る上で一番手っ取り早い方法が、人間の生命エネルギーだもの」

 何か最後は恐ろしいことを宣ったような気がするけれど、これで話が解決するのならばそれはそれで有難い。
 とはいえ、謎は幾つか残っているし、今回の事件に関わったことでもっと面倒臭いことに発展しなければ良いのだけれどな。


 ◇◇◇


 後日談。
 というよりもただのエピローグ。
 何だか長い間話をしていたような気がするけれど、あれからあっさりとボルケイノに戻ることが出来たし、いざボルケイノに戻ってみたら一時間も経過していなかった。
 だからメリューさんからは深々と溜息を吐かれた挙げ句、

「……お金の回収はしてきたんだろうね?」

 と恨み節を吐かれてしまった。
 借金の取り立てが目的ではないだろうに、そんなことは言わないで欲しい。命あっての物種だよ、その辺りも理解してもらえると有難いかな。
 少女はあの閉じた世界でリーサによる魔法の解析をかけられることになった。
 リーサ曰く、魔法に耐性のない人間だったならば、あれだけの魔法をかけられてしまっては耐えうることが出来ない、とも言っていた。
 つまりは、少女にかけられた魔法を解除しようとしたところで、そのまま息絶える可能性も否定出来ない――ということだった。
 そんな馬鹿な話があるか、と俺は思った。けれど、魔法という概念は俺の住む世界には存在しない概念だ。だったら俺が考えられる予想を遥かに上回る難易度があるだろうしハードルもあるのだろう。

「リーサ、あの子はどうなるんだ」
「殺すつもりもないし死なせるつもりもないよ。私の魔法の研究には使えることだろうし、それ以上に……どんな術者が彼女に魔法をかけたのか気になるじゃないか? 年端もいかない少女に、永遠とも言える呪いをかけたんだ。未だ呪いをかけたばかりだったか或いは未熟な術式だったからか、不完全に終わってしまったがね」

 リーサは、静かに怒っているような気がした。
 俺も同じ気持ちだ。しかし同時に恐怖もあった。
 その存在は、一体何の目的で少女に魔法をかけたのか――少なくとも今の俺達には、それを推理するためのパーツがあまりにも少なすぎるのだった。


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