忘れられない大切な味 (メニュー:オムライス)
ドラゴンメイド喫茶、ボルケイノ。
あらゆる世界とも干渉出来る第666次元軸に存在する喫茶店は、ご多分に漏れず今日も暇だった。
「どんな存在にも、思い出の味ってものは存在するだろ?」
カウンター側の椅子に腰掛けながらコーヒーカップを片手に、メリューさんはそんなことを言い出した。
「そりゃあ、誰にだってあると思いますけれど……」
「ケイタは何がある? 別に笑うことはしないし、卑下することもないよ」
メリューさんはそう言ってはいるけれど、案外こちらの世界の料理を調べる名目があるのかもしれない。だとしたら、最初からそう言ってくれれば幾らだって料理は教えるのだけれどね。こっちが料理出来るかどうかは、一旦話題から放置するとして。
「……そりゃあ、思い浮かべる料理は沢山ありますけれど、俺が一番思い入れのある味というのは――」
カランコロン、と入り口に取り付けられた鈴が鳴ったのはちょうどその時だった。
あまりにもタイミングが良い――そうは思ったけれど、多分メリューさんも思ったに違いない。別に俺は予知能力を持っている訳でもないのだから、いつ鈴の音が鳴るかどうかなんて分かりはしないのだけれど。
しかし、俺はそんな話の結末よりも――やって来たそのお客さんの姿に、驚きを隠せなかった。
やって来たそのお客さんは、泥に覆われていた。
いや、泥……で良いのだろうか? おどろおどろしい液体が常に滝のように流れていて、床を浸してしまう程だ。しかもその液体は直ぐ蒸発してしまってはいるものの、床に痕が残ってしまっている。
とても掃除が大変そうだ。もしかしたら特殊清掃の人間を呼ばないといけないかもしれない。
「……いら、っしゃい……ませぇ……?」
そして、入ってから気づいた――鼻が曲がりそうになるぐらいの刺激臭。
メリューさんを見ると、いつの間にやらキッチンへ逃げていた。逃げ足だけは素早いな……。
「ええと、ご注文は……いや、違う。ここはお客さんの食べたい料理を出すお店になっていますから……」
説明をしてはみるものの――当然、このようなお客さんは初めてだ――会話が成立しているのかも危うい。
会話が成立していなかったらそれはそれで大問題だ。もしかしたらこちらにとっては優しい言葉でも相手にとっては厳しい言葉だと捉えられてしまったら――それはもうあまり考えたくはない。
「……おい、ちょっと」
気づくとメリューさんがキッチンの奥から手だけ出して手招きしている。そんなことをする必要があるなら、顔ぐらい出して欲しいものだけれど、きっとそれぐらい遠い場所からも刺激臭は伝わるのだろう。きつい臭いだと分かっているなら、ちょっとはこっちに肩入れしてくれないものだろうか。
渋々メリューさんのところへ向かうと、急に服を引っ張られた。何か後ろめたいことでもあるのだろうか?
「……あのお客さんは丁重に持て成せよ。何か嫌な予感がするというか……。具体的には、嫌な予感というよりも選択を誤ると大変なことになると言えば良いのかもしれないが」
「そんなのいつものことじゃないですか。別に、今更どうこう言ったところで……」
メリューさんの勘は大抵当たっている。というか、正解率百パーセントと言っても差し支えない。もしかして上位存在から何か情報でも得ているのだろうか、などと思ったこともある。まあ、冗談だけれどね。
「……とにかく、ケイタがしなければならないことは、たった一つだ。もう分かりきっているだろう?」
そりゃあ、まあ。
俺は単なるウエイターですからね、出来ることは限られていますよ。
「そこまで分かっているのなら、何より。ともかくお前に出来ることはただ一つ――あのお客さんに粗相のないように接しろ。私の考えが確かなら、あれは……」
「何か見当がついているのなら、教えてくださいよ。こっちだって何かしら対策を取れるかもしれないんですから」
「対策……ねえ。そうは言われても、私が確信を持っているやり方なら、ケイタは普段通りの接客をしてくれれば問題ないと思うけれど? 一言だけアドバイスをしてやるとするなら……、絶対に逃げないことだね」
「逃げないこと?」
「例えば、ケイタが異国のお店に入って誰とも話せずに店員にも愛想を尽かされた感じで食事を取るような感じだとしたら、どう思う?」
そりゃあ、さっさと金を払って脱出したくなるかもしれないな。
「それと同じだよ。とどのつまり、お客様を神様とあがめ奉ることをしなくても良いかもしれないし、お客様を神様だと自ら言うのは放っておいて良いとは思うが、こちらがそれなりに敬意を持って接しなくてはならないということだ。そうすればお互いに気分が良いからな。それを分かった上で、今回の接客に取り組んでくれれば、私は別に文句を言う筋合いはないよ」
「そう言われてもな……。あくまでも、俺はしがないバイトだぜ? そこだけは間違ってもらっては困るというか……」
「バイトでも何でも、給料を貰って働いている以上は、それなりにプライドを持っていないと困ると思うのだが? それともケイタ、お前はそういう価値観で働いていたのか? だとしたら幻滅するね」
「別にそこまでは言っていないだろう……。まあ、良い。とにかくいつもの通りに接客をすれば良いんだな。後はこっちに任せてくれ」
普段通りの接客をすれば良いのだから、こちらからすれば勝ち戦も同然。
だから俺は特段何も考えることなく――お客さんの待つカウンターへと戻っていくのだった。
◇◇◇
「お客様、コーヒーでも如何ですか?」
取り敢えず、普通に接客を進めなければならない。
例えそれが異形であってでも、だ。
コーヒー豆を挽き、それをフィルターに入れる。そして少しだけお湯を注ぐ。
具体的には、コーヒー粉が少し湿るぐらいで構わない。ここで三十秒ぐらい蒸らすと良い。何故蒸らすかというと、コーヒー粉とお湯が反応することで炭酸ガスのようなものが出来てしまうからだ。その炭酸ガスを抜いてからではないと味が落ちてしまうから――なんて専門知識は持ち合わせていないけれど、俺が学んだコーヒーの入れ方がこうなのだから、そこについては文句を言われても困るのが実情だ。
コーヒーの香りが漂ってきたからか、或いは不快だったのかは知らないけれど、その泥が少し蠢いているような気がした。
そして、動くたびにその泥から生臭い匂いが放たれて、鼻が曲がりそうになる。
直ぐにコーヒーの香りを嗅いで、正気を保つ。
そうでもしなければ、いつ気絶してもおかしくはない。
三十秒経過したところで、ゆっくりと何回かに分けてお湯を注いでいく。
何故何回も分ける必要があるかというと――答えは単純明快で、フィルターからお湯がこぼれてしまうからだ。
それに、フィルターを介してコーヒーになっていく液体が、ぽたぽたと落ちていく様子を眺めていくだけでも面白い。
だから俺はいつもこの時間を大切にしている。例え、これが非効率であると言われても、だ。
「……どうぞ」
漸く一杯分のコーヒーが注がれたところで、俺はそのカップをソーサーに置いて、カウンターに置いた。
すると泥の塊だったそれから、ゆっくりと腕のような細い泥の塊が伸びていった。液体は漏れていくので床が汚れていくのだけれど、少し多めにお金を貰っても文句は言えないと思う。多分。
コーヒーカップを手に取って、それをそのまま泥の塊に流し込んでいく。
……というか、そこが口だったのか。全然分からなかった。やはり水で洗い流しちゃ駄目なんですかね?
「……美味しいですか? もし必要でしたら、お代わりもありますので早めに……」
俺の言葉を聞いて少しだけ身体が沈んだような気がするけれど、気のせいだよな。きっと。
「ケイタ」
背後から声が聞こえたので、俺は振り返る。
暖簾の向こうからメリューさんが手招いている。ああ、料理が出来たから持って行け、ということだ。いつもならメリューさんがここまで持ってきてくれたような気もするけれど、あの悪臭には耐えられないのだろう。
致し方ない、俺だって逃げられるのなら逃げてやりたいぐらいだ。
ちょっと手当を増やしてくれないと、話にならない。
「……どうしました?」
「どうしました、じゃないよ。料理が出来たんだ。それを配膳するのが、ウエイターの役目だろう?」
はいはい、面倒臭い役割は全て俺に回すってことですね。
手当は付けさせて貰いますよ、これで全くの割り増しなしだったら、それは目も当てられない。
「お待たせいたしました、どうぞ」
……ところで、メニューについて全く説明していないのは、流石にどうかしていると思うので、説明することにする。
メリューさんが作ったのは、オムライスだった。
……何で?
何処からオムライスを感じ取ったのだろうか……。でもまあ、メリューさんのこのスキルは成功率百パーセントだから、別に疑義を持つ意味もないのだけれど。
「……どうぞ、召し上がれ……」
俺がカウンターにそれを置くと、泥の塊――失礼、お客さんはじっとそれを見つめているようだった。
もしかして、提供した料理が失敗した――?
メリューさん、まさかのやらかしをこんなお客さんにしないで欲しい! 言語で解決しそうにないお客さんじゃないかよ……!
――と、勝手に被害妄想を爆発させていると、お客さんの泥の塊が少しずつ動いて、皿の前に置いてあるスプーンを覆った。
きっとあれは手なのだろう。ということは、手でスプーンを掴んだだけだ。にもかかわらず、絵面だけ見るとスプーンが泥に飲み込まれた、というだけにしか見えない。
「……、」
固唾を飲んで見守っていたが――しかし匂いがきつい。悪臭というのはこのことを言うのだろう。正直、急いで逃げて帰りたいぐらいだ。というか、今見たらずっとティアがそこに立っているのが末恐ろしい。お前、鼻ないのか。或いは嗅覚が存在しないのか――。
「――美味しい」
ぽつり、声が聞こえた。
え? 何処かにお客さんが居たか? そして、お客さんにいつの間に料理を提供していたんだ――などと意味のない考えを巡らせていたが、普通に考えてこのお店に居るのは、目の前のお客さんだけだ。
と、いうことは。
目の前のお客さん――平たく言えば、その泥の塊とやら――が、発したというのか?
「何だか……懐かしい味だよ」
ぽつり、ぽつり、と。
お客さんは思い出したかのように言葉を発していった。まるで、今まで自分が言葉を発することが出来たのを忘れていて、それを何らかのちょっとした切欠で思い出したかのような――そんな感じだった。
とはいえ、いきなりフルスロットルで話しかけられても、こちらはついていけないし、それは流石になかった。ぽつりぽつりと、堰を切ったようにゆっくりと言葉を紡いでいった。
しかし――言葉が通じるのか。
だとしたら、今まで匂いのことについて、直接言動に出さなくて良かった。もし言動に出していたら、俺もその泥の塊に飲み込まれてそのまま意味の分からない世界へ閉じ込められていたことだろう。
◇◇◇
神様は、それからぽつりぽつりと俺に話をしてくれた。
それは神様が未だ神様として威厳を保っていた頃の話から、どうしてこんな風になってしまったのか、その顛末までだ。
神という存在は、人々からの信仰を失えば、その存在が薄れてしまう。
最終的に神は祟神となってしまい――そのまま消失するか、人々を攻撃するかのいずれかになるのだとか。
「……わしはのう、その地域に根付く神だったのよ。神殿なんて立派な物は建てられちゃおらん。要するに、木像だけがある小さな家に、人々が集まってわしを崇め奉る……、そういう状況だった訳じゃよ」
まあ、良くある地元の神様って所なんだろうな。
地元の神様というのは、他の場所の人間からはあまり知られることがない――正確には知ろうとする意思がなければ、という但し書きが付くのだろうが――一方で、その地元の人間は誰でも知っているような、そんなメリットとデメリットを兼ね備えている。
お祭りとしては寂れている、けれども地元の人間は殆ど参加している、みたいな。
「……だったら、信仰は薄れることはなさそうですけれど?」
「良く知らないが、地方の人間というのはないものを欲したがる。いや、人間そのものの特性なのかもしれないな……、それが良いか悪いかと言われると、良いことに働くこともあるのじゃろう。そういう向上心がなければ、人間というのは今まで進化或いは進歩していくことはなかったのじゃろうからな」
「人間が少なくなってきた?」
だから、自ずと信仰も薄れてしまった――と。
「まあ、大きい理由はそこじゃろうなあ。結局、人が居なければ信仰なんてものはありゃしない。崇め奉る人が居ないのだから。けれども、神というのはそうも行かないものじゃ。信仰をしてくれる存在が居ないからとて、生きていくことは出来ない。何故なら、信仰によって我々は具現化出来るからじゃ。具体化出来るからこそ、人々への『奇跡』を魅せることも容易い」
しかし、その人間が居ないと。
「そうなれば、神は誰に奇跡を魅せれば良いというのだ?」
人間は、良くも悪くも地球で一番権力を持った存在だ――神という上位的存在を除けば、だけれど。
そしてその人間は、言語で奇跡を伝えることが出来る。そうすることで、人々の中から信仰心が生まれ、やがてその神の地位は安定したものへと変化を遂げていくのだろう。
そうなれば、神としては安泰だろう。しかし……。
「『仕方ない』と捨て去ることが出来るのは、当事者ではないからだ。簡単に切り捨てられるからこそ、簡単に発言することが出来る。こうやって当事者であればこそ、絶対にそんなことは言えないはずじゃのに……」
「じゃあ、ここに来て暫くリハビリでもする?」
いきなり発言を割り込んで来たのは、キッチンからずっと話を聞いていたであろう、メリューさんだった。
いきなり入ってきたと思えば……、リハビリ? どういうことですか?
「ケイタ、お前も知っての通り、ボルケイノには様々な人種がお客様として足を運ぶ。国、世界、人種、種族、全て違う。けれども有難いことに、彼らはここに足を運んでくれる訳だ。それはどうしてだ? 私の料理が美味いってのも当然あるのだろうけれど、ここを情報取得の場としたいからだ」
「?」
「……未だ分からないのか、ケイタ」
メリューさんは深い溜息を吐きながら、そう言った。
いきなり落胆されても困る。
「つまり、ここに来れば新しい知見が得られる――そう思っているお客様が多い、ってことだよ。そこで神様の出番、って訳」
「わし?」
神様も話の流れを理解してなさそうだけれど、大丈夫なのか?
「神様、ちょっと聞きたいけれど、例え信仰している人間が少なかろうと、奇跡は起こせるんだろう?」
「……まあ、程度にもよるがね。少なくとも現状であれば……、水をジュースに変えるぐらいかのう」
それはもうマジックの領域では。
まあ、種も仕掛けもないってんなら、やっぱりそれは奇跡の類いなのかもしれないけれど。
「それで良い。そういった類いでも、私は全然行けると思っているんだ。魔法や魔術に錬金術……、世界には様々な術式が存在するけれど、やはり奇跡には敵わない。前者は必ず核となる存在があって、それと効果とを交換する――即ち等価交換の原則が成立するけれど、奇跡はそんなルールは存在しない。神そのものの力によって奇跡そのものを生み出している、と考えれば等価交換と言っても差し支えないのかもしれないがね」
……つまり、神様にここに定期的に来てもらって、奇跡を披露すると?
「そうそう、漸く話が飲み込めてきたようで何よりだ。その奇跡を実感してもらえれば、神の存在を信じるお客様だって出てくるはずだ。それによって、奇跡をさらに高いグレード? のものに変えて行ければ、好循環に繋がる。そうやって神としての自信を付ければ、きっと元の世界でもやっていけるんじゃないかねえ?」
簡単には言うけれど、そんな簡単に出来るものなのかな?
神様だって拒否権はあるだろうけれど、素人目に見てもこの提案はかなり良さそうな感じはする。リハビリと聞いたときはちょっと面食らったけれどね。
「……この場所を使っても構わないのか?」
「勿論、お代は頂くけれどね」
「……はは、神に金銭を請求するとは、現金な奴だ。良いだろう、その提案――乗った!」
まあ、何か良い方向に転がったのなら良いか。
俺はそんなことを思いながら、お代わり兼お口直しのコーヒーを作るべく、準備に取りかかるのだった。
◇◇◇
後日談。
というより、今回のオチ。
結局、それから神様は毎週とまでは行かなくても、それなりの頻度で来てくれるようになった。うちとしてもリピートの客が増えるのは有難いことだし、神様にとっても自分のグレードを上げることが出来るので、いわばWin−Winの関係と言えるだろう。
けれども、神様というのはそれ以外のことも呼び寄せたようで……。
「……はい、今月の給料。ちょっと多くしておいたよ、ボーナスだ」
「それってこないだの神様の接客込みで?」
「それもあるけれど、あの神様が来るようになってから、何かお客様が増えるようになったのよねえ。閑古鳥が鳴くって程でもなかったけれど、良い感じにひっきりなしにお客様が来るようになって、うちの財布も潤うようになったから、ちょっと還元しただけ」
「……具体的にはどれぐらい?」
「今月は給料二倍だよ」
わーお。
……どうやら、あの神様は福の神でもあったらしい。
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