出張ドラゴンメイド喫茶、南の孤島支店・2 (メニュー:そうめんとチキンカレー)


 一週間後、俺達はボルケイノに居た。まあ、そこまではいつも通り――問題はいつもとは不相応なスーツケースを持っている、ということだ。

「準備万端じゃないか、ケイタにサクラ」
「これをどうやって持ってくるかが大変だったよ……。まあ、近場の旅行だって言って何とかなったけれどさ。若者はあんまり感染症に罹っても重症化しないから良いんだよ、なんてことは言っていたけれど……」
「それって戯言だと思うよ、ママも言っていたでしょ、ケイタと一緒に居れば大丈夫でしょ、って。要はそれぐらいにしか考えていない、って訳よ」
「まあ、そうなるけれど……」
「ケイタのお母さんは、特段何も気にしていなかったのか?」
「あー……、まあ、そうだね」

 言い淀むのは正直愚策ではあったけれど、あんまり正直に言いたくない事情だってある。ここだけはメリューさんも理解して欲しいところではあるのだが――。

「――ふうん? まあ、別に詮索する程でもないしな。それを聞いたところで仕事に影響が出るかというと……、きっと悪い影響しか出ないだろうし。だから、別に言わなくて良いよ。言いたくなったら、自分から言えば良い」
「メリューさん……」
「さて、準備に取りかかるとしようか。リーサ、バッグの準備は?」
「出来ているけれど、本当にこれで使えるかどうか……」

 リーサが持ってきたのは、大きな鞄だった。しかしサイズとしては、恐らくボルケイノの扉をギリギリ通過出来るぐらいのサイズに思える。もしかして、それをリーサに作らせていたのだろうか? だとしたら、最近リーサが表に出てこなかった理由も頷ける。

「これ……、普通の鞄のように見えるけれど、本当に私のリクエストに見合った代物なんだろうね?」
「使えるかどうか分からない、と言ったはずだけれど。……まあ、理論上は問題ないはずよ、理論上はね」

 一体メリューさんはリーサに何を作らせたのだろうか?

「メリューさん、それって一体?」
「調理器具を持って行くのに面倒だろう。別にここにある調理器具を持って行かなくても良いようにするために、一番良いのはボルケイノの扉を繋いでやることなんだが、そうもうまくいかなくてな……。何かしらのルールがあって、目的地の無人島には直接行くことが出来ないようだ。だからこそ、出張という意味があるのだけれどね」
「じゃあ、どうするんですか?」
「そこでこの鞄の出番、って訳。一応、調理出来る用意はしているが、調味料やその他諸々があっちの世界の物しかないのでね……。ここはちょっと、使い勝手の良い代物を使わせてもらおう、って話だよ。無論、これについては了承を得ているから問題ない」

 まあ、メリューさんがその辺り適当にするとは思っていなかったけれど、しかし、そこまでする程かと言われると、何も言えなくなってしまう。
 メリューさんに任せれば全て解決する――とまでは言い過ぎではあるが、分からないことをこねくり回したところで意味がない。ならば、分かっている人間に全てお願いしてしまった方が、物事は効率良く回る、ということだ。

「メリューさん、でもそれにしては鞄が大きいような……」
「大きい鍋とか持って行くからね。あとこれは……ブラックホール? のように質量を多少圧縮することが出来るようだから、結構色々と入るように設計しているんだよな。まあ、重いことは重いのだが……」
「誰が持って行くんですか? 流石に一人ではそれは……」
「シュテンとウラは?」
「まだバックヤードで遊んでいるんじゃないかしらね」

 ティアさんは本を読みながら、そう呟いた。
 いつも本を読んでいる割には、そういう現状把握はきちんとしているんだよな、ティアさんって……。もしかしてボルケイノ全体に目でも装備しているんですかね?

「それじゃあ、ケイタ。シュテンとウラを連れてきてくれる? 重い荷物運びは、鬼である彼女達が一番なのよ。鬼という種族はね、力持ちで有名なの。たとえそれが子供であろうとも、大人の何倍もの力を持っている。ということは……」
「今回のような重たい荷物を運ぶにはうってつけ……ってことですか?」
「ご明察。さ、分かったならとっとと行ってきて。何か嫌がるようだったら特製デザートを付けるとか言っておいてくれ。実現するかどうかは別の話だが」

 それって詐欺というのでは? などと思ったが、ここではメリューさんが一番偉いので、メリューさんには逆らわないでおいた方が身のためだ。
 俺はキッチンの横にある扉を開けて、バックヤードへと向かった。
 バックヤード、と一言で言ってしまうが、正確にはボルケイノの建物は二つあり、店舗の建物の裏手にある居住スペースのことを言う。メリューさん達は当然このボルケイノに住んでおり、俺やサクラは毎日ここに通っている――ということになる。
 そして、この扉の向こうには通路がある。通路の脇にある扉を開けると休憩スペースがあり、食事とかおやつとかをここで食べている。どういう理屈かは知らないが発電機もあるので、ここで携帯電話の充電が出来る。いや、本当にどういう理屈なんだろうな……。一度メリューさんにきちんと聞いてみようか。もしかしたら逃げられるかもしれないけれど。
 それはそれとして、通路を抜けた先にはまた扉があり、この扉の向こうがバックヤード――居住スペースとなる訳だ。扉を開けると、大きなリビングがある。リビングには幾つか扉が用意されているが……、正直ここに入ったのは数えた程度で、シュテンとウラを探しに行けと言われたところで、一体何処に二人が居るのか、というのは皆目見当がつかない。

「多分、何処かの扉を開ければ、二人の部屋になるのだろうが……」

 ここで間違えてメリューさんの部屋へと行ってしまったら、プライバシーの問題もあるし、色々と面倒なことになる。出来ればちょっと避けたいことではある。
 だとすると、この選択肢から正しい物を一つ――間違えずに選択しなければならない。難易度はかなり高い。こういう時のために看板でも付けておいて欲しいものだけれど、ここに滞在するのは基本的に住んでいるスタッフだ。だったら彼らのためにわざわざ看板を付ける意味がないのだし、そこについては今更言ったところで無意味だと言えるだろう。
 正直、間違えてしまったところで何かペナルティがあるかと言われると、そんなことはない。誤ってプライベートな空間を見てしまうぐらいではあるけれど、一瞬見てしまっただけで何かを理解出来るほど、簡単には出来ていないはずだ。

「……しかし、あんまりプライベートを覗かれて気持ちいいことはないからなぁ……」

 だとしたら、やはり失敗は許されない。
 扉は全部で四つあるが――じゃあどれが正解か、という話だ。簡単には導き出せないが、しかし時間が迫っていることもまた事実だ。
 だとするならば、答えは一つ――。

「迷っている暇なんてない……、適当に自分の運を信じるしかないな!」

 そうして俺は真ん中の扉を勢いよく開けた。


 ◇◇◇


 しかし、残念ながら、答えは不正解だった――扉を開けた先にあったのは、質素な佇まいの部屋だった。白を基調としたインテリアに、棚には料理の本が何冊か並べられている。

「ということはここは……」

 メリューさんの部屋、ってことになるだろう――。ったく、一番見たくない部屋に来てしまった感じがする。ボルケイノには中身が分からない店員ばかりが集まっているけれど、その中でもトップクラスで分からないのが、メリューさんだった。
 あんなに料理の腕があるというのに、どうしてメリューさんはこんな辺鄙な場所でメイドとして働いているのか――それは過去の作品を読んで貰うとして、正直それだけではメリューさんのことは語りきれないと思っている。
 語っても、語っても、分からないし分かり合えない。
 ヤマアラシのジレンマ――という言葉がある。ヤマアラシというのは背中に棘を持った生き物だ。お互いが寂しくなって近付いて寄り添ったとしても、それぞれの棘が刺さって怪我をしてしまう。だから、お互いが傷付かない――けれども温もりが欲しい――ちょうどその中間になるだろう、せめぎあいの距離を求めようとする、それがヤマアラシのジレンマだったはず。
 しかして、メリューさんもまたそれに適用されるのではないか――などと最近思うようになっていた。
 メリューさんの人となりを知るのはなかなか簡単ではない。そもそもメリューさん自身が自分を語ろうとはしないからだ。それは別に致し方ないことだし、正味どうだって良いことなのかもしれないけれど、メリューさんが俺達との間に壁を作っているのは、間違いなかった。
 あんな気さくなメリューさんが壁を?
 そりゃあ、そう思うだろう。
 俺だって――俺だって、きっとそう思うし、思わざるを得ないだろう。
 けれども、裏表がない存在なんてありゃしない。
 それが、ドラゴンメイドであろうとも。

「……とにかく、ここに長居は無用だな。こんなところに居るのがバレたら、後で何を言われるか分かった物じゃないし……」

 俺は自らをそう省みて、部屋を後にしようとした――机の上にある、立派な革の表紙のハードカバーの本に目線が向くまでは。

「メリューさん……、日記なんて書くのか? 何というか、ちょっと意外だな……」

 意外も何も、日記を書くことは別に変な話ではない。俺は日記を書くことは苦手だし、仮に書こうとしても三日持つかも分からないぐらいの忍耐力しか持ち合わせていないのだけれど、結構日記を書く人は居るらしい。
 日記の内容は、やはり自分を省みることだろうか。一日のまとめだとか、明日はこれを頑張るだとか、言えなかったことをこっそりここに書き記しておくだとか……、理由はさておき日記を書くと言うことは、自分という存在そのものの確定にも繋がるんだとか。どっかの精神学者が本で書いていた気がする。俺はそれをネットのまとめで読んだだけだったと思うけれど。
 メリューさんの日記。
 それは、気にならない訳がなかった。今まであまり感情を、自分のことを表に出してこなかったメリューさんの人となりを知ることが出来る、貴重な資料だ――それが今、目の前にあるということは、やはり興味を持たない訳がなく、これで興味を持たないのは最早人間ではないと言ってもおかしくはないだろうとは思う。それは即ち、探究心の喪失だからだ。
 しかし……、やはり本当に見て良い物か不安に思うところではある。メリューさんの日記を見てしまったら、自分はもう今までの関係では居られないのではないか――などと思ってしまうからだ。被害妄想ではないだろう、実際に有り得る未来の、その可能性の一つだ。

「……辞めておこう。ここで、日記を見てしまうと――」

 ――きっと、もう、戻れなくなる気がする。
 そもそも異世界に居ること自体が、非日常なのだということを最近麻痺してしまって忘れているような気がする。そして、そこに深入りしてしまったら――それはもう、異世界の住人として認定されてしまうことにも繋がるだろう。そうなると、もしかしたら元の世界にな戻れなくなる可能性すらある。

「……ま、案外俺のことだから、もう戻れなくなっている世界線とかあるのかもしれないけれどさ」

 多次元宇宙、なんてことは信じちゃいない。
 けれども、何処かの世界ではそんなことが有り得たんじゃないか、って話だ。

「メリューさんに怒られる前に、撤退するか……」

 生憎、この部屋に入ったお陰で、シュテンとウラが何処に居るのかは見当が付いた。恐らく二人が住む部屋というのは、防音にしているのだろう。見た目が子供とはいえ、やんちゃな鬼であることには変わりない。ならば、どちらかの方から音が聞こえてきたら、それはシュテンとウラが騒いでいる――ということになるのだろう。

「……にしてもメリューさん、こんな音が毎日聞こえてきたらノイローゼになりそうなもんだけれどな」

 或いはメリューさんがきちんとしつけていて、メリューさんが居ないタイミングで騒いでいるのか。それはそれで賢いが。
 ともあれ、道筋は立った。
 俺は正しい部屋へと向かうべく、メリューさんの部屋を後にするのだった。


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