お疲れの女王陛下(メニュー:豚の生姜焼き)


 ドラゴンメイド喫茶『ボルケイノ』。
 どんな異世界とも交流することの出来る第666次元軸に存在する喫茶店は、いつだって暇だ。

「……久しぶりじゃない、ミルシア」

 カウンターには、ミルシア女王陛下が座っていた。
 とある国の女王様である。というか、そんな存在が古い喫茶店に足を踏み入れている自体面白い話だし、そもそもここに繋がっている扉は何処に出現したんだ? 護衛が居ないということは、城の中とか?

「まさか、私もこんなに時間が開くとは思いもしなかったわよ。城の近くに扉があるとはいえ、ここに人がたくさん来るのは嫌でしょう?」
「いやあ、別に? だっていつも閑古鳥が鳴くのは不味いし。こちらとしてもバイトを雇っている以上、給料は払わないといけないからね」
「別にいつも空いている訳でもないでしょうに……」

 あ。
 ついつい二人の会話に割り込んでしまった。

「そうよねえ、まあ、別に良いんだけれどさ。私だって忙しいのよねえ。こちらとしても、しばらくは来れなくなるかもしれないし」

 急なカミングアウトに驚きを隠せないメリューさん。

「……何かあったの?」
「いや。何かあったって訳でもないのだけれど。要するに、こちらだけ遊んでいられなくなっちゃってねえ。息抜きも何も出来ないっていうか」
「……何かやばそうな感じ?」
「隣国が戦争を仕掛けようとしているのよ。まあ、未だ仕掛けようとしている段階で、実際に仕掛けている訳でもないのだけれど」
「つまり交渉中ってこと?」
「そうなるわねえ。毎日毎日大使がやってきて大変なのよ。こちらとしても無碍に扱う訳にはいかないでしょう? だから、すごい体力が居るのよ。……体力が回復出来るような、そんな料理を作ってくれないかしら?」

 ああ、そういうことか。
 一国の主人というのは、プレッシャーも仕事内容も、我々一般市民では考えられないようなとんでもないことなんだろうな、というのは容易に想像がつく。
 しかしながら、それを吐露する訳にもいかないのだろう。政敵が居るだろうし、国民を安心させるためにも王が不安な発言をしてはならないのだろう。
 そういう意味では、ミルシアはとても不安定な??大変な状況に身を置かれている、ということだ。
 それは確かに大変だと思う。

「何か良い料理を作ってくれると良いのだけれど……」
「まあ、何とでもなるよ。私を誰だと思っている?」

 メリューさんは相変わらず即答だった。

「そう言ってくれると思っていたよ」

 ずっと暗い表情を浮かべていたミルシアは、そこでようやく表情を明るくしたような??そんな感じがした。
 もしかして、ずっとそういう感じだったのか。
 表情を明るくすることさえも出来ないまま、延々と日々を過ごすばかり。
 そういった日々が、絶対に楽しいはずがない。
 そういった日々が、絶対に明るいはずがない。
 そういった日々が、絶対に嬉しいはずが??ないのだ。

「とにかく、美味しいご飯を作ってくれると嬉しい。最近は、何も出来やしなくてね。メイドの彼女たちにも大変な目に遭わせてしまっている以上、甘える訳にもいかない」

 メイドか。
 そういや、ミルシアが体調を崩した時に一度ボルケイノにやってきたっけな。
 あれから一度も会っていないけれど、元気なのかね?

「それなら、腕によりをかけねばならないな」

 メリューさんはそう言って腕まくりをする。

「美味しい飯を作ってやるよ」

 そう言ってメリューさんはカウンターの奥へと消えていった。


 ◇◇◇


 ??ああ大見えを切ってしまったからには、ちゃんとした料理を作らねばなるまい。


 いや、手抜きの料理をするつもりは毛頭ない。当然、私は料理人だからね。けれど、どういった料理を作るべきかって話だ。一応知らない人のために言っておくが、ボルケイノにはメニューという概念が存在しないからね。
 なら、どんな料理を作るのか? 客はどんな料理を食べるのか、って話だけれど??食べたい料理を作る、これが正解だ。
 ボルケイノは、お客さんの食べたい料理を、何も聞くことなく作る??そうやってずっとやってきた。
 もちろん、今回みたいにリクエストを聞くこともあるけれどね。
 はてさて……、それはそれとしてどうするべきかね。
 ミルシアはいつも食べたい料理を言ってくれるけれど、大抵無理難題というか、良く分からないお題を言ってくることばかりだ。こちらを試しているのか、或いは無理難題を言っていることでストレスを発散しているのか??答えは分からないな。何せ、聞いたことがないから。
 しかしながら、いずれにしてもお客さんには気持ちよく食事をして、気持ちよく帰って欲しいからね。
 他のお客さんに迷惑さえかけなければ、基本はノータッチ。
 それがボルケイノのスタイルなのだ。
 だからと言って、アイディアが既にたくさんあるって訳でも全くないんだよな。

「……ううむ、流石にケイタの世界の知識が増え過ぎた、ような?」

 最近はスマートフォンとやらで色々な情報を見てしまって困る。別に寝不足になることはないんだけれど、情報の洪水というか、処理しきれないというか……。
 とはいえ、知識は増えれば増えるほど良いと思う。減るよりはマシだ。

「何を作れば良いかねえ」

 具材を探すのは、そう難しい話ではない。
 キッチンの裏手にある、倉庫に行けば良いだけの話だ。
 倉庫にはありとあらゆる異世界から手に入れた、たくさんの食材が保管されている。冷蔵保管、とやらもしなくても良いぐらいには良い感じの温度でキープされている。どういう仕組みなのかはさっぱりと理解できないし、今ここで説明をする程でもないのだろうけれどね。
 低温で保管しなければならない代物はどこにあるのか、って?
 そりゃあ、別の場所に保管しているに決まっているだろう。ケイタの世界でいうところの冷蔵庫と冷凍庫の違いだ。氷をこんな空間に置いておいたら、あっという間に溶けてしまうだろうし。

「とはいえ、あまり待たせる訳にもいかないのだし」

 そう自分を奮い立たせるところで??画期的なアイディアが出てくる訳もない。というか、何とか解決しないとダメだ、と思い込ませるだけに過ぎないのであって……。
 ……そういや、ミルシアは疲れ気味だったような?
 いつもだったら、無理難題を言ってきてこっちに溜息を吐かせるはずだったのに。
 そんなことを楽しむぐらいの余力もない、ということだろう。

「分かったよ」

 そしたら、作ってやろうじゃないか。
 とびっきり美味しく、とびっきり元気になるという??あの料理を。


 ◇◇◇


 メリューさんがいつもならもうキッチンから出てきてもおかしくない時間だったのに、まだ外に出てこないどころか美味しそうな香りすらしてこない辺りから、何処となく嫌な予感はしていた。
 三杯目のコーヒーを飲み干したところで、ミルシア女王陛下は深い溜息を吐いて、

「……メリューにしては遅くない?」

 誰もが思っていた、至極真っ当な質問を投げてきたのだ。

「そう……ですね。珍しいですよね、あんまり自分もここまで長いのは聞いたことがない、というか……」

 ここで時間を潰されても困るし??結局は何とかするしかないのだけれど??メリューさんの迅速な料理提供があってこそのボルケイノだったりすることもある訳で……って考えたら、なかなかヘビィな感じだよな。メリューさんが居なければ、ボルケイノのビジネスモデルは簡単に崩壊すると思うし。
 と、そんなことを思っていたらキッチンから良い香りがしてきた。これは……生姜の香りか? 生姜を使うことはあるかもしれないけれど、こんな香りがしてくるぐらい使うのはあまり聞いたことがないな。もしかしたら生姜メインの料理なのかな?
 とまあ、そんなことを考えながら??俺は料理が出来るのを、今か今かと待ち構えているのであった。


 ◇◇◇


 料理が出来たのは、それから十五分後のことだった。

「……これは?」

 ミルシア女王陛下の目の前にあったのは、生姜焼きだった。
 白い円形のお皿に並べられた、照り焼きのように光を反射している茶色の絨毯??豚肉だ。
 それが三枚並べられていて、その上にはすりおろした生姜が小さい山のように盛られている。
 付け合わせにはトマトとレタスというシンプルな野菜であり、それらにドレッシングの類はかかっていないように見受けられる。
 そして、パンとスープがセットになっている。パンはボルケイノにある石窯で焼いた、本格派だ。そもそもここに石窯があること自体驚きだけれど。もしかして何か欲しいと思ったら、誰かに改築してもらうのだろうか? 誰かは知らないし、知るよしもないけれど。

「どれ……」

 フォークとナイフを使って、豚肉を丁寧に一口大のサイズに切り分ける。
 そして、それを口に運ぶと??暗かったミルシア女王陛下の表情が一気に明るくなった。
 まるで暗雲立ち込める空に、一筋の光??太陽の光が降り注いでいるかの如く。

「何これ……! すごい、すごい美味しいのだけれど!」

 そのあとは、もう止められやしない。
 食べたいという本能の赴くがままに、ミルシア女王陛下はあっという間に生姜焼きセットを平らげてしまった。
 食後のコーヒーを飲んでいる表情はとても満足そうで、いつものミルシア女王陛下に戻ったような??そんな感じすらあった。

「美味しかったわ、とても」

 ミルシア女王陛下はお金をカウンターの上に置いて、立ち上がる。
 入店時の表情と今の表情を見比べたいぐらい、全然違う表情になっていた。

「元気になったようね、ミルシア??女王」

 気づけば俺の横にメリューさんが立っていた。

「あんたのエールのおかげでね。もう少し頑張ってみることにするわ。そして??必ずや明るい未来を築くのよ。私には、その使命がある」
「頑張ってくれればそれで良い。けれど……無理はし過ぎない方が良い。何かあれば、ここに来なさい。またあんたのワガママに付き合ってあげるから」

 メリューさんはそう言って、笑顔でミルシア女王陛下を見送った。

「ありがとう、メリュー。また……また来るわ。絶対に」

 そう言って、ミルシア女王陛下は??彼女の住む世界へと続く扉をゆっくりと閉めるのであった。



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