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008





 人でごった返していた。
 遊園地なのだからそんなものだろう——正直、最初はそんな軽い気持ちで思っていた。何せ、平日だ。平日の真っ昼間なのだから、休日よりはある程度閑散としていても何らおかしくはないし、寧ろそれを望んでいた。
 しかしながら、現実はそう甘くはなかった。
「……いやいや、何でこんなに人が居るんだよ。今日って、平日……だよな?」
「平日だからこそ、だろうね。正直、ぼくもここまで人が居るとは思いもしなかった」
 珍しく歩もうんざりした表情を浮かべている。
 当たり前と言えば当たり前だろう——何も好き好んで混雑している空間に飛び込もうなんて、誰も思いやしない。
「歩、お前もこれは——」
「想像していたけれど、まさか平日にこんな混雑しているとは、ね。流石にこれは予想外だよ。だって、幾ら大人気の遊園地だからといって、平日だよ? 平日ということは、学生は学校に行っているしサラリーマンは仕事をしているはずだ。だのに、何故?」
「そりゃあ、皆同じ考えだよねえ」
 おれ達の会話に割り込んだのは、近藤さんだった。
 というか、先程別れたはずなのにちゃっかりおれ達の後ろに並んでいる。いつの間に?
「担当している先生のことを逐一チェックすることは、編集者としては当たり前のことですからねえ……」
「そうなのか?」
「さあ?」
 確認するために歩に聞いたが、歩も分からないらしく首を横に振った。
「それはそれとして、ですけれど。そのことについては概ね予想出来なかったんですか、と苦言を呈したくなりますねえ」
「苦言?」
「誰しも、混雑している日には遊園地に行きたくはないでしょうよ。混雑する日なんて、一部例外はあるやもしれませんけれど、概ね土日祝日と相場は決まっている。ならば、それを避けようと考えるのは、火を見るより明らかなのでは?」
「つまり、わざわざ休暇を取ってでも平日に、ということか……。確かに、その通りだろうな」
 寧ろ、そんな単純なプロセスに気づけなかった、と言える。
「取材旅行と聞いて、そして、場所を聞いて……止めはしたんですよ。絶対に混雑しているのは間違いないですし、それは避けられませんから」
「忠告を聞いたのに、何故……?」
「単純にメールを見落としていただけ、かな」
「おいっ!」
 流石におれだってツッコミを入れたくなる。
 編集者のメールぐらいは読んでおけよ……って思うのだけれど、作家先生からしてみれば大したことでもないのだろうか。知らんけど。
「だって、メールなんてそう簡単に見ないよ。電話は流石に応対するけれどさ……。メールでOKなやりとりって、大抵は電話でもOKだろう。だから、メールはなるべく見ないようにしている。週一回は見るかな」
「もっと見るべきだと思うのですがね……。こういうルーズなことが許されるのも、偏に売上が良いから、です。売上が良くなければこんな我が儘は通りませんし、通る訳がない。こちらから絶縁状をたたきつけてやるぐらいですから」
 さらっと恐ろしいこと言っているな、この人……。
 編集者って、思考がこれぐらいクレイジーじゃないとやってられないのか?
「あの、流石に編集者が全員そんな考えを持ち合わせている訳では……」
 言ったのは冴木さんだった。
 あれ? 声に出ていたか? さっきのモノローグ。
「気になるのは分かります。……けれど、安心して下さい。我々編集者は何も先生だけを預かっている訳ではありません。先生の大切な……作品も預かっています。それを生かすも殺すも、編集者次第ではあるのですけれど……、でも、出来る限り、生かしてあげたい。より良い作品に仕上げてあげたい。そうやって、編集者は先生と二人三脚でやっているんですから」
「一蓮托生、と言っても良いかもねえ。担当した作品が売れれば、編集部でも一目置かれるようになる。けれども、売れない作品ばかりを担当すれば、どうなるか? 先生の力量もそうですけれど、編集者の技量及び手腕も問われる訳ですよ。連帯責任、とまでは言いません。けれど、作品の評価は賞与に直結する。だから、そう簡単に先生だけにハンドリングさせる訳にはいかないんですよね。業界によっちゃあ、編集者に印税を割り振ることだってあるらしいけれど、それもまた責任を課すための重要なインセンティブと言っても良いだろうねえ」
 行列は未だ進まない。
 前の方で怒号が聞こえていることから察するに、何かトラブルでも起きているのか?
「面倒だねえ……。こういう時ってリカバリープランとか用意されていないものなの?」
 歩はもう不機嫌そうだ。
 元はと言えばおまえが行きたいと言ったんだろうが。せめて終わるまでは楽しい表情を浮かべてほしいものだけれど。
「遊園地に行ったらずっと楽しい表情を浮かべているべき——なんて誰が決めたんだい? 遊園地は確かに楽しい場所ではあるだろう。けれども、全てが全てそうではない……。今はその最たる物だと言えるだろうね」
「分かっているなら、何でわざわざ取材に?」
「次回作については、なるべく開示したくないんだ。プロットが出来上がるまではね。でも、ここがヒントであることは間違いないだろうね。多分」
 多分、って。
 もしかしたら次回作に使われない可能性があるのか? 例えば完成してみると、宇宙を舞台にしたスペースオペラになる可能性も否定出来ない、と?
「否定はしないけれど、多分それはないよ。SFは難しくて。チャレンジしたい気持ちはあるけれど……」
「残念ではありますが、今先生の作品を好きな読者と合致しないでしょうね……。新境地を切り開いていただくのは、もう全然問題ないと思っていますが」
「そんなに?」
 客層のことは聞いたことがないけれど、そこまで忌避されているのか……。可哀想と言えば可哀想ではある。
「新境地、と聞くと多くの人間はどう反応するとお思いですか? 大抵、半々でしょう。一つは、面白いと思って手に取るか。元々の作風が好きだからと忌避するか……。さて、この場合どちらに転ぶか、どちらがどれぐらいの割合か、予測出来ると思いますか?」
「……不可能でしょう。そもそも、そんなことが出来るのであれば、苦労はしません」




 そもそも、小説は水物だ。
 人気が出るか出ないかは、実際に世に出してみないと分からないし、それを予測するのは非常に困難。それにシリーズを続けていったとして、その人気が未来永劫続く保証もない。いつジェットコースターよろしく人気が急降下してもおかしくはないのだ。
 人気が落ちていった作品は、基本的にてこ入れをするのだろう。つまり、人気が出そうなキャラクターや演出、ストーリーを追加することだ。追加するストーリーは作者が決めることもあるのだろうが、概ねは編集者と決めていく。或いは編集者の意向に沿って、作者はそれを書いていくスタイルもある——なんてことを聞いたことがある。
「人気が出るか出ないかは、どうだって良い……。そんな考えが出来るのは、一部の超人気な売れっ子作家ぐらいですよ」
 近藤さんは、そう言い放つ。
「うちの社にも何人居るかどうか、ってぐらいでしょうね。概ねは、編集者と決めてアイディアを練り直すか、或いは売れるであろう作品を書くか、そのいずれかです。さりとて、人気というのは常に変化し続けます。人間の予想を遙かに上回るぐらいのスピードで、ね……」
「じゃあ、いつも人気な作品を続けるのは不可能、だと?」
「何でもかんでもそうですが、常にヒット作を量産し続けられる作家先生が居るならば、どの出版社からも引く手あまたでしょうね。何故ならその作家先生が一冊書いてくれれば、出版社は莫大な利益を約束されますから。しかし、量産もしてもらわないと困りますけれどね。量産した結果、質が落ちてしまうのならば……それは仕方がありませんけれど。こちらとしても、質を落とすことはしたくありません。そんなことをしてしまえば、未来の作品の売り上げに影響を及ぼします」
 近藤さんは、こういった見た目をしているが、実は案外まともな編集者なのかもしれない。
 そんなことを言ってしまえば、きっと本人から何かお小言を言われてもおかしくはないのだけれど。
「……まあ、簡単に言えば、ってことだよね。冒険は出来ないし、したくない。そう思う作家よりは編集者、或いは出版社の意向が強いのかな。冒険した結果、従来のファンも居なくなって、売上も落ちてしまっては意味がないし。そういった類いは、難しいと思うけれど」
「まあ、編集者がコントロールしていますから、その辺りは別に。作家先生は、真剣に書きたいと思う作品、或いは売れると思う作品を仕上げていただければ良いのですから」
 漸く、列が動いてきた。
 にしても、よもや創作論をここで語り合うことになろうとは……。無駄な時間も、これはこれでありなのかもしれないな。結果的に無駄な時間ではなくなってしまった——と言えばそれまでだけれど。
 入場するのにも、ここまで体力が要るとは、よもや思いもしなかったのだけれど——まあ、そんなことはどうだって良い。
 とにかく今は、こいつの取材に付き合ってやるしかないのだから。
 良い息抜きにもなるだろうし、別にこちらとしてもメリットが全くない訳でもないからな。
 とまあ、そんなことを考えながら、おれは入場ゲートを潜るのであった。
 何か少し離れたところで、近藤さんが冴木さんに耳打ちしているけれど、流石にその声は聞こえない。まあ、大方聞かれたくない話だ。無碍に詮索する程でもないだろう——多分。

◇◇◇

 久しぶりに遊園地に来た気がする。
 子供の頃、親に駄々をこねて幾度か連れてきてもらったような気がするけれど……、こんなにカップルって居たっけ?
「そりゃあ居るだろうねえ。カップルが遊ぶ場所として、遊園地はうってつけのスポットなのではないかな?」
 そうだったか。
 カップルなんてもう遠い概念になっていたから、すっかり忘れてしまったけれどね。
 歩も、人のことは言えないと思うが……、ま、そこについては何も言わないでおくか。
「一応言っておくけれど、こういった雰囲気を取材するために来ているのだからね。楽しんでも良いけれど、程々にね」
「楽しもうとする気があるのは、寧ろ歩、お前の方では?」
「どうして?」
「いや、まあ、別に……」
 確証を持って言った訳ではないのだけれどさ。
 ただ、こちらに言ってくるってことは、そうなのかな……って思っただけだよ。
「あんまり決めつけで物事を言わない方が良いと思うけれど? ……まあ、別に良いか。大丈夫、ぼくは打たれ強いからね。そんな気にもとめないから、安心したまえ。そうでなければ、作家を続けることは出来ないから」
「メンタルも強くなければいけない、ってことか……。だとしたら、おれは無理かもな。サラリーマンとして、ドロップアウトしてしまった身である訳だし」
「それは、好きでもない仕事を延々やってきたから、ではないのかな?」
「……はは」
 こうもあっさりと一刀両断されてしまっては、乾いた笑いしか出ない。
「そもそも、好きなことを仕事にしていれば、多少のメンタルは鍛えられるものだと思うけれどね? それを商業に乗せたら、まあ、評価と売上はついて回るし、自分が思っているような作品は書けないかもしれないけれど、でも、それで終わりじゃない。それで終わりにしてしまうのは、作家であるかもしれないけれどその作品が好きであるとは言えない——のかもしれない。まあ、多少は暴論かもしれないけれどね。とどのつまり、この作品を最後まで自分が思った形で届けたい、と思うのならばやり方は沢山あるよね、って話」
「間違ってはいないのかもしれないけれど……、世の中の作家先生が全員歩みたいにストイックな人間でもない……ような気がするんだよな」
「そうかな。作家とは、そういう生き物ではないのかな。常に自らの作品と向き合い、全身全霊をかけて一つの作品を作り上げる……。そういった存在であると思っているけれどね。肇くん、きみだって書きたい物語はあるはずだろう? 寝食を犠牲にしてでも、書き上げたい物語が」
 書き上げたい物語——。
 そんなもの、あるに決まっている。
「……答えは分かりきっているようだね。まあ、最初からきみはそう選択すると思っていたけれど、ね」
 おまえ、分かっていたのか。
 まあ、分かっていなかったらそんな質問はしてこないだろうけれども。
 歩はそう言って、さらに話を続ける。
「創作をする人間であれば、誰しもがそう考えるはずだ。絶対に表に出したい物語がある、と。しかしながら、それを表に出せたとして、多くの人に見てもらえるかどうか? それは別問題だ。分かるかな?」
「それぐらい……言われなくても分かっているよ」
 この世界には、沢山の物語がある。
 あるというだけなら未だ良いのかもしれないけれど、日々新たな物語が生まれ続けている。
 即ち、玉石混交。
 沢山物語が生まれるということは、良い作品もあれば悪い作品もある。
 そして、それを評価するのは、紛れもない読者だ。
 作者自身が評価するのではない。作者からしてみれば、どの作品も良い作品だと判断するだろう。
 当たり前と言えば、当たり前だ。
 それ以上でもそれ以下でもない。
「……出版社、ひいては編集とはそういった立ち位置である、とぼくは考えているよ。二人三脚、とでも言えば良いかな。作者は良いアイディアを出して作品を書く。編集はそれをより良い結果になるようにアプローチしていく。当然ながら、作者には作品を生み出すことに集中してもらうべきだと思うからね。きっと近藤さんもそう考えていると思うけれど」
 しかし——しかし、だ。
 それは流石に言い方が悪いのではないだろうか、などとも考える。
 最近の作家は積極的にSNSで自著の宣伝をしているだろう? あれはどう捉えるつもりだ?
「それはまあ……、その会社によるとしか言いようがないけれど」
「おいおい、それはないだろ。良く言われているじゃないか。最近の作家はセルフプロデュース力も問われているから、作家になるハードルが上がっている、って。その辺りはどう考えるんだよ?」
「うーん、そうだなあ。そんなことを自力でやる気力もないから、ぼくは恵まれているのかもしれないね? 多分、セルフプロデュース力なんて皆無だから。作品を書いて書いて書きまくって、出していけばそれで良い……。ぼくはそういうスタンスで書いている訳だし」
「……、」
 何というか。価値観が全然違うということだけは理解した。
 歩と色々話したことはある。あるのだが、毎回思うのはそれだ。
 歩とおれでは、価値観の違いがあまりにも大き過ぎる。
 ある種のジェネレーションギャップ、と言っても差し支えない。
「ジェネレーションギャップと言って良いかどうかは分からないけれどね」
 歩はそう言い放つと、さらに話を続ける。
「あくまでも自分はそうだから、そうとしか言いようがないのだけれど、作家はやはり創作に集中するべきだとは思うけれどね。最初から多数のファンが居る作家ならともかく、新人賞で出てきた作家というのは大半がファンは居ないはず、だ。多分。そうであるならば、ファンや売上を増やすにはどうすれば良いと思う? 作家が努力しないといけないのか、と言われるとそうではないとぼくは考える訳だ」
「成る程なあ……」
 歩の考えは間違いではない。
 さりとて、それを全ての編集者と作家、それに出版社が考えているかと言われると、それはまた別問題だろう。
 出版社が作家をどう考えているか、って話にもなるかな。
「……辛気臭い話をするために、わざわざ遊園地に来たのではないのだけれど、その辺り分かってくれるのかな?」
 歩の言葉によって、強引に話は終了せざるを得なかった。
 そして、確かに歩の言う通りであった。元々の目的としては、歩の新作の取材旅行だ。どういったテーマで物語を紡ぐのかなんてことは一切聞いていないけれど、取材旅行をするからにはそれなりにイメージが固まっているに違いない。そして、そのイメージを崩さないためにも、あまり介入しない方が良いだろう。
 一応創作をしている人間である以上、同じ種別の人間の行動や気持ちはある程度理解しているつもりだ。ブランクはあったとて、それは変わらないと思う。多分。
「……ところで、今回の取材旅行って、どんな作品を書く予定でやって来たのかは聞いても良いのか?」
「本来ならば、言ってはいけないんだと思う。だってプロモーションに関わるしね。でもまあ、良いかな、肇くんになら言っても良いと思う。そんな秘密をぺちゃくちゃ話す人間でもないだろうし」
「信頼されている、ってことで良いのか?」
「逆に今の言葉でそれ以外の感想を抱く方が間違いでは?」
 それもそうか。
「信頼しているに決まっているだろう。それぐらい分かってほしいものだけれどね」
「何処から理解しろと?」
「うーん、そう言われると微妙なところではあるのだけれど……。まあ、いいや。さっきの質問に戻ろうか。ええと、何故取材旅行に来ているか、ってところだったっけ?」
 何かはぐらかされたような気がするけれど、概ねその通りだ。
「新作は恋愛小説なんだよね。そこで出てくるのが遊園地なんだよ。だから、遊園地にやって来た。それで終わり」
「終わり?」
 いやいや。
 聞いておいてなんだけれど、それはそれでどうなんだよ。
「遊園地のディテールを良くしたいが故に、やって来たってことか?」
「うん。まあ、その通りだね。間違っちゃいないよ。読者が作品の世界に没頭するためにはリアリティが大事だからね。そのためにも、こうやって現地に取材することは大事だ。覚えておくと良いよ」

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