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010
1
今思い返すと、しっかりと歩からアドバイスを貰ったのはこれが初めてではないだろうか――と思う。おれは確かに何も出来ないさ。何も成し遂げたこともなければ、これから何かを成し遂げようったって信憑性が低いって言われてしまえば、返す言葉もありゃしない。
さりとて、歩のアドバイスを百パーセント理解したかと言われると――申し訳ないが、頷くことは出来ない。
「……如何すれば良いんだろうな」
何度目か分からない、独居房の天井を眺める。
クリーム色の天井は何かを映し出してくれるようで、そんなことはなく、ただ薄ぼんやりとした考えを薄ぼんやりとしたままにしてくれるだけだ。
とどのつまりが、何も進展しないということ。
そんなのは分かりきっている話だ。たとえおれが歩のアドバイスを完璧に理解したとして、それを百パーセント忠実に実行出来るかと言われれば、それはまた別の話。
「書き続けるということは、地獄を見ることにもなる――ってことだよな」
趣味で書くことは、楽だ。
自分の書きたいタイミングで書けて、休みたいタイミングで休める。
翻って仕事になると話は別だ。クオリティーをある程度維持した作品を、一定のペースで書いていく必要がある。それは自分が飯を食えなくなるからってのもあるけれど、市場から置いてけぼりを食らわないためだとも思う。
今日日自分の書きたい物だけを書いて――市場のトレンドには一切縛られない作品を出している作家は非常に少ないだろう。それは最早作家性そのものが評価されている段階であり、今おれが悩んでいるそれとは次元が違うと言って差し支えない。
難しいよ。はっきり言って。
「……悩んでいたって、何も進みゃしない」
それぐらいは、分かっている。
パソコンに映し出された原稿用紙は、白紙だ。
実際にはスクロールしていけば、もう数十ページはあるのだけれども、進捗はあんまり芳しくない。
完成に近づいているのに、高揚感がありゃしない。
楽しく、文章を書いているはずだったのに——だ。
「……そろそろ、気分転換でもしないかい?」
昼下がりの休憩。歩がそんなことを言い出して、おれは耳を疑った。
「如何したのかな?」
「いや——まさかそんなことを言ってくれるとは思いもしなくて、ね。正直、進捗があんまり良くない以上、あまり遊んでいられる場合でも——」
「それはそれ。頑張れるようになったら、ペースを上げていけば良い。けれども、いきなりペースを上げることは出来ない。どんな天才だろうとも、いきなり文字が天から降ってくることとかない限りは、ね」
「そりゃあ、言いたいことは分かるけれどさ……」
「と、いう訳で」
「うん」
「別の作家先生と、一週間合宿をしてみようと思うのだけれど、如何かな?」
「……うん?」
「一応、作家のネットワークってのもあってね。少なからず、ぼくだって友達が居る訳だ。友達でもありライバルでもあるね。発売日が重なると特にそうだ。当然ながら、売上が良ければ良い程メディアミックスの可能性が広がる訳だし、出版社の扱いも良くなる訳だから……。けれど、普段は仲良くしておこうって訳。無論、他意はないよ」
他意があっても困るんだけれどな。
「如何かな? やってみる価値は大いにあると思うけれどね」
「刺激があるって意味じゃ、確かに間違いじゃないのだろうけれどさ……」
「書けていないんだろう、最近」
歩からびしっと真実を突きつけられる。
正直、分かりきっているのだけれど、いざ言われてしまうとあまりにしんどい。
「何が厭なんだい? 逆に聞いてみたいぐらいだけれどさ。それとも、ぼくがそれぐらい有難いってことなのかな」
「そういうことではないのだろうけれどさ……」
歩のアドバイスはとても有難いし、この環境について文句を言うつもりもない。
というか、ここで文句を言ってしまったら罰が当たってしまいそうなぐらいだし。
だが、そうではなく——。
「分かった」
歩がおれの考えを遮るように、話を続けた。
「それじゃあ、一度Web会議を繋いでみようか? それからでも遅くないし。一応、彼女も結構悪くないって言っていたんだけれどね?」
彼女——ってことは女性かあ。
いや、別に性別を気にする程でもないのだけれど。
アドバイスをくれるんなら、どんな人だって構いやしない。
今は、兎に角この状況を打破する何かが欲しい。
「如何かな? 先ずは、話だけでも」
「何でそこまで話を続けようとしているのかは分からないけれどさ……。まあ、良いよ。話だけ、ね。聞いてみても良いかな」
歩はおれの言葉を聞いて、ちょっとだけ寂しそうな表情を浮かべ、直ぐに笑顔になる。
いや、何故だ?
合宿なりWeb会議なりを提案してきたのは、紛れもない歩、おまえじゃないか。
自分で悲しむような提案をしておいて、合意してからそんな表情を見せるんじゃない。
「よし、それじゃ——今日の夕方にでも通話をすることにしようか」
ともかく。
今は、前を見るしかない。
原稿の完成というゴールに辿り着くためにも、幾つかある手段のうちの一つを実行するだけに過ぎないのだから。
2
「こんにちはあ。あなたが話に聞いていた作家志望者さんですか?」
夕方、Web会議の場にて。
暫く顔が出てこないのを疑問には思っていたが、いざ出てきたと思ったら、それはアバターだった。黒髪ロングの眼鏡をかけた、如何にも読書好きって感じの女性だった。
「……どういうことだ、歩」
おれは意味が分からず、歩に問いかける。
「言っていなかったっけ?」
「聞いていねえよ。もしかして顔を出すのがNGとかか?」
「半分正解だけれどね……。肇くん、きみはVTuberという概念を知っているかな?」
まあ、聞いたことはあるけれど。
要するに、生配信や動画投稿をしながら生計を立てている人のことだろう? それだけなら、Vの文字がつくことはないのだが、顔を出すのではなくイラストや3Dモデルを出すことでその代替としている——それがVTuberだったと記憶している。
「そう、それ。で、その目の前に居るのが……」
「はいはい、わたしは作家もやりつつ配信しているVTuber、牧場ひつじって言います。どうぞよろしく」
おっとりとした声だった。
しかし——いまいちピンとこない。動画配信をしつつ、作家をしているってことか?
「ひつじちゃんはね、作家系VTuberとして活動しているんだよね」
「いや、系とかじゃなくて現に作家になっているんだよな?」
「まあ、そういうことになるかなあ。謙虚に毎日執筆しているよ」
そう言った牧場は、カメラを切り替える。
と言っても、どうやらウィンドウを共有しているだけのようだった。
それは、原稿用紙を模したソフトウェアの画面だった。
「……これは?」
「だから、言ったじゃない。わたしは作家だって。確かにまあ、本業はVTuberをやらせてもらっているけれどね。配信をしながら原稿をする時だってあるし、疲れたなあと思ったらゲームや雑談の配信に切り替えることだってある。ともあれ……自由なやり方でやらせてもらっているよ」
「あんまり参考にはならないけれどねえ」
歩はそう言って笑みを浮かべる。
「分かっているなら、何でわたしを呼びつけたんだよ?」
「いや、まあ……別に良いじゃん。そんなこと言わなくても。水くさいなあ」
「水くさいとかそういう話ではなくてね……」
牧場は深い溜息を吐いて、画面共有を閉じる。
どうやらこういうのは慣れっこ、といった感じだが、友人関係にでもなっているのだろうか?
「良いから、さっさと言ってくれない? 一応、こちとら企業に所属している訳で、マネージャーさんに無理言って空けてもらったスケジュールなのだけれどね? 今日も八時から配信をする予定だし」
八時というと、あと三時間弱か。
準備とか、しなくて良いのだろうか?
「ごめんね。それじゃあ、言うけれど……。肇くんの原稿を読んで、アドバイスをもらえないかな? 物語の根幹に関わる修正点だって、バンバン言ってもらって構わないよ。作品が面白くなるアイディアならば、何だって良いのだから」
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今思い返すと、しっかりと歩からアドバイスを貰ったのはこれが初めてではないだろうか――と思う。おれは確かに何も出来ないさ。何も成し遂げたこともなければ、これから何かを成し遂げようったって信憑性が低いって言われてしまえば、返す言葉もありゃしない。
さりとて、歩のアドバイスを百パーセント理解したかと言われると――申し訳ないが、頷くことは出来ない。
「……如何すれば良いんだろうな」
何度目か分からない、独居房の天井を眺める。
クリーム色の天井は何かを映し出してくれるようで、そんなことはなく、ただ薄ぼんやりとした考えを薄ぼんやりとしたままにしてくれるだけだ。
とどのつまりが、何も進展しないということ。
そんなのは分かりきっている話だ。たとえおれが歩のアドバイスを完璧に理解したとして、それを百パーセント忠実に実行出来るかと言われれば、それはまた別の話。
「書き続けるということは、地獄を見ることにもなる――ってことだよな」
趣味で書くことは、楽だ。
自分の書きたいタイミングで書けて、休みたいタイミングで休める。
翻って仕事になると話は別だ。クオリティーをある程度維持した作品を、一定のペースで書いていく必要がある。それは自分が飯を食えなくなるからってのもあるけれど、市場から置いてけぼりを食らわないためだとも思う。
今日日自分の書きたい物だけを書いて――市場のトレンドには一切縛られない作品を出している作家は非常に少ないだろう。それは最早作家性そのものが評価されている段階であり、今おれが悩んでいるそれとは次元が違うと言って差し支えない。
難しいよ。はっきり言って。
「……悩んでいたって、何も進みゃしない」
それぐらいは、分かっている。
パソコンに映し出された原稿用紙は、白紙だ。
実際にはスクロールしていけば、もう数十ページはあるのだけれども、進捗はあんまり芳しくない。
完成に近づいているのに、高揚感がありゃしない。
楽しく、文章を書いているはずだったのに——だ。
「……そろそろ、気分転換でもしないかい?」
昼下がりの休憩。歩がそんなことを言い出して、おれは耳を疑った。
「如何したのかな?」
「いや——まさかそんなことを言ってくれるとは思いもしなくて、ね。正直、進捗があんまり良くない以上、あまり遊んでいられる場合でも——」
「それはそれ。頑張れるようになったら、ペースを上げていけば良い。けれども、いきなりペースを上げることは出来ない。どんな天才だろうとも、いきなり文字が天から降ってくることとかない限りは、ね」
「そりゃあ、言いたいことは分かるけれどさ……」
「と、いう訳で」
「うん」
「別の作家先生と、一週間合宿をしてみようと思うのだけれど、如何かな?」
「……うん?」
「一応、作家のネットワークってのもあってね。少なからず、ぼくだって友達が居る訳だ。友達でもありライバルでもあるね。発売日が重なると特にそうだ。当然ながら、売上が良ければ良い程メディアミックスの可能性が広がる訳だし、出版社の扱いも良くなる訳だから……。けれど、普段は仲良くしておこうって訳。無論、他意はないよ」
他意があっても困るんだけれどな。
「如何かな? やってみる価値は大いにあると思うけれどね」
「刺激があるって意味じゃ、確かに間違いじゃないのだろうけれどさ……」
「書けていないんだろう、最近」
歩からびしっと真実を突きつけられる。
正直、分かりきっているのだけれど、いざ言われてしまうとあまりにしんどい。
「何が厭なんだい? 逆に聞いてみたいぐらいだけれどさ。それとも、ぼくがそれぐらい有難いってことなのかな」
「そういうことではないのだろうけれどさ……」
歩のアドバイスはとても有難いし、この環境について文句を言うつもりもない。
というか、ここで文句を言ってしまったら罰が当たってしまいそうなぐらいだし。
だが、そうではなく——。
「分かった」
歩がおれの考えを遮るように、話を続けた。
「それじゃあ、一度Web会議を繋いでみようか? それからでも遅くないし。一応、彼女も結構悪くないって言っていたんだけれどね?」
彼女——ってことは女性かあ。
いや、別に性別を気にする程でもないのだけれど。
アドバイスをくれるんなら、どんな人だって構いやしない。
今は、兎に角この状況を打破する何かが欲しい。
「如何かな? 先ずは、話だけでも」
「何でそこまで話を続けようとしているのかは分からないけれどさ……。まあ、良いよ。話だけ、ね。聞いてみても良いかな」
歩はおれの言葉を聞いて、ちょっとだけ寂しそうな表情を浮かべ、直ぐに笑顔になる。
いや、何故だ?
合宿なりWeb会議なりを提案してきたのは、紛れもない歩、おまえじゃないか。
自分で悲しむような提案をしておいて、合意してからそんな表情を見せるんじゃない。
「よし、それじゃ——今日の夕方にでも通話をすることにしようか」
ともかく。
今は、前を見るしかない。
原稿の完成というゴールに辿り着くためにも、幾つかある手段のうちの一つを実行するだけに過ぎないのだから。
2
「こんにちはあ。あなたが話に聞いていた作家志望者さんですか?」
夕方、Web会議の場にて。
暫く顔が出てこないのを疑問には思っていたが、いざ出てきたと思ったら、それはアバターだった。黒髪ロングの眼鏡をかけた、如何にも読書好きって感じの女性だった。
「……どういうことだ、歩」
おれは意味が分からず、歩に問いかける。
「言っていなかったっけ?」
「聞いていねえよ。もしかして顔を出すのがNGとかか?」
「半分正解だけれどね……。肇くん、きみはVTuberという概念を知っているかな?」
まあ、聞いたことはあるけれど。
要するに、生配信や動画投稿をしながら生計を立てている人のことだろう? それだけなら、Vの文字がつくことはないのだが、顔を出すのではなくイラストや3Dモデルを出すことでその代替としている——それがVTuberだったと記憶している。
「そう、それ。で、その目の前に居るのが……」
「はいはい、わたしは作家もやりつつ配信しているVTuber、牧場ひつじって言います。どうぞよろしく」
おっとりとした声だった。
しかし——いまいちピンとこない。動画配信をしつつ、作家をしているってことか?
「ひつじちゃんはね、作家系VTuberとして活動しているんだよね」
「いや、系とかじゃなくて現に作家になっているんだよな?」
「まあ、そういうことになるかなあ。謙虚に毎日執筆しているよ」
そう言った牧場は、カメラを切り替える。
と言っても、どうやらウィンドウを共有しているだけのようだった。
それは、原稿用紙を模したソフトウェアの画面だった。
「……これは?」
「だから、言ったじゃない。わたしは作家だって。確かにまあ、本業はVTuberをやらせてもらっているけれどね。配信をしながら原稿をする時だってあるし、疲れたなあと思ったらゲームや雑談の配信に切り替えることだってある。ともあれ……自由なやり方でやらせてもらっているよ」
「あんまり参考にはならないけれどねえ」
歩はそう言って笑みを浮かべる。
「分かっているなら、何でわたしを呼びつけたんだよ?」
「いや、まあ……別に良いじゃん。そんなこと言わなくても。水くさいなあ」
「水くさいとかそういう話ではなくてね……」
牧場は深い溜息を吐いて、画面共有を閉じる。
どうやらこういうのは慣れっこ、といった感じだが、友人関係にでもなっているのだろうか?
「良いから、さっさと言ってくれない? 一応、こちとら企業に所属している訳で、マネージャーさんに無理言って空けてもらったスケジュールなのだけれどね? 今日も八時から配信をする予定だし」
八時というと、あと三時間弱か。
準備とか、しなくて良いのだろうか?
「ごめんね。それじゃあ、言うけれど……。肇くんの原稿を読んで、アドバイスをもらえないかな? 物語の根幹に関わる修正点だって、バンバン言ってもらって構わないよ。作品が面白くなるアイディアならば、何だって良いのだから」
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