×

012



 それからおれは、必死になって物語を書き続けた。一日のノルマはあったけれど、もしそれをクリアーしても書き続けられそうであると自分が考えるのならば、さらに追加で書く日もあった。
 着実に増えていく文字数は、やはり感無量だ。自らが紡ぎ、自らが生み出した一文字だ。
 その文字は、やがて一文となり、やがて一節、一章、最終的に一編の小説と化す。
「……出来上がっていく」
 出来上がっていく、一つの物語。
 誰にも紡ぐことの出来ない、おれだけの物語。
 書いて、書いて、書いて書き上げる。
 ……のだが。
「……参ったな」
 もう一つの壁に、今ぶち当たった。

◇◇◇

「物語のエピソードを取捨選択出来ない?」
 最近の食事の席は、専ら歩との意見交換の場になっていた。
「ああ、概ね完結までの道筋が見えてきた。そして、目標としていた新人賞の応募期限にも確実に間に合うと思っている。けれどさ」
「けれど?」
「書きたいエピソードがあまりにも多いんだよな……。だから、どうやって書いているのかな、と思って」
「アドバイスが欲しいってこと?」
「経験談でも構わないよ」
 別に、そんな上から目線でアドバイスが欲しいってもんでもないしさ。
「難しいなあ。ぼくもそういうのは毎回困っちゃうからね。それで何日も一文字も進まない、なんてことはざらにあるし」
「……そうなのか?」
 何というか、意外だな。
「そうだよ。今だって、実は新作を書いているんだけれど、これがなかなか良い方向に転がっていかなくってね……。何というか、やっていくうちにどんどん深みにはまっていくというか」
「そんなこと、おまえにもあるのか?」
「あるさ、沢山ね」
 それは、あんまり聞きたくなかったような、そうでないような。
「言ったかもしれないし、はたまた言っていないかもしれないけれどさ……。ぼくだって何も天才でも完璧な存在でもない訳だ。というか、仮に完璧な人間だとしたら、ぼくは作家としてもっと確固たる地位を築いていると思うけれどね?」
「……今でも充分良い地位だと思うけれどな」
 そもそも、作家になりたくてもなれる訳ではない。
 大抵は持ち込みなり賞に応募するなりして、何かしら認めてもらう必要がある。まあ、最近はインターネットに公開された小説が、その評判の良さで出版社に見つけてもらって出版する——いわゆる『書籍化する』ケースもあるらしいけれど。ある意味、それはそれで作家になる道としては新しいルートであると言えるだろう。前者が市道としたら、後者は高規格道路ぐらいの。
 いや、それはそれでちょっとニュアンスが違うような気がする——が、まあ、それはそれとして。
「人間っていうのは成長を止めようと思っちゃうと、一気に衰退してしまうものだよ。それが例えどんな職業に就いていようとも」
「そういうものか?」
 いや、別に成長することを否定するつもりはないけれどさ。
「……難しい話ではあるけれどね。こうやって商業で物語を書いていく以上、ライバルという存在は無数に居る。つまり、今まで書き続けてきた歴戦の作家も、これから新しい物語を紡ぎ出す新進気鋭の作家も——全てまとめてぼくのライバルになる訳だ。増えることはあっても減ることはない。自らこの舞台から降りると言い出さない以上は、永遠に続く。文字通り、死ぬまでね」
「……成程な」
 死ぬまで、か。
 そう言われると、一気に言葉の重みが増すというものだ。
 とはいえ——。
「それじゃあ、おれだってライバルになるってことか? もし作家になれた、としたら」
 問題はそこだ。
 歩の言っている発言が本意であるならば——、仮におれが作家になった場合は、ライバルになる。
 ということは、今行っていることは『敵に塩を送る』行為に他ならないのではないだろうか?
「何を心配しているのか、ぼくには分からないけれど……。そりゃあそうだろう。まさか、作家になってからもお気楽に仕事が出来るとでも思っているのかい? 物語を紡いで紡いで紡ぎ続けて、それをファンに見せるだけで構わない——なんて言えるのは、あくまでも本業が他にあって、趣味で小説を書いている人間が宣うことの出来る話だよ。ぼくのように、商業作家になる——即ち、物語を紡ぐことで生きていくことが出来る存在になったら、そんな甘ったるいことは言っていられない。常に流行のアンテナを張るか? 自分の書きたい作品を貫いて、ファンが付いてきてくれるのを待つか? それとも色々な作品を数打ちゃ当たる論法で書き続けてヒットするのを待つか? やり方は色々あるだろうけれど、しかしながらそれで食べていくと決めた以上は、それなりに試行錯誤していかねばならない。アドバイスを他の作家からもらうことはあるにしても、馴れ合うというところまではあまりしないかな。とはいえ、作家同士の付き合いを全くゼロにするのもナンセンスだけれど」
「ナンセンス、ねえ……」
 とはいえ、この付き合いが終わってしまう可能性がある、というのは非常に寂しいものだな、と思った。
 やはりアドバイスを他人からもらうというのは、かなり恵まれた機会であることには変わりない。作家になったらそれが編集者に代わるだけ、と思うかもしれないが、では編集者が作家と同じ目線でアドバイスを送れるか? と考えたとき、おれはそうではないだろう、と勝手に推測する。
「作家と編集者じゃ、やっぱり着眼点は違うよな?」
「一概にそうとは言えないんじゃないかな? 編集者だって作家になって成功している人も十二分に居る。ってことはもともとクリエイティブな才能があったんだと思うよ。作家の作品を見続けて、それが自らの糧になっているのなら猶更。普通にこなしていたら、きっとそんなことは出来ないだろうし。……と考えると、編集者のアドバイスをおざなりにするってのは、あんまり好ましいことではないんではないかな。やっぱり、ビジネスパートナーである以上、それなりに良好な関係は保っておかないとね。とはいえ、こちらがずっと謙るのも、それはそれで違うと思うけれど」
 難しいなあ。
 簡単には結論を出せないような、そんな感じだ。
「編集者と長く付き合うのも難しそうだな……」
「ぼくは一人目だけれど。二人目、三人目と出てくることもあるだろうね。編集者は平たく言えば会社員だから、上司命令で配置換えなんて当たり前に有り得る話だろうし、それを踏まえると、急に変わってしまうのは当然なのではないのかな? こちらは個人事業主だから、辞めたいという意思がなければ死ぬまで続けるほかないのだけれどね」
「成程……?」
 参考になるかと一瞬だけ思ったがそんなことはなかった。
 全く参考になりゃしない。
「とにかく、だ。きみがどのように作家になったとしても、編集者は必ずついてくる。彼か彼女かは置いておくとしても……二人三脚で作品を世に出していかねばならない。編集者は会社員だからと言って、何をしなくても良いのかと言われると、そういうことでもないだろうしね。やっぱり評価とかボーナスに関わってくるだろうけれど、だとしても一応給料は保証されているわけだしね」
「一概に同じ条件じゃない、ってわけか……」
「フリーの編集者も増えてきているから、必ずしもこの条件が成り立つとは考えづらいけれどもね。そうなってきたら、自分の力量になってくるわけだ。この作品をどのように売っていくかというのを、文字通り四六時中考えてくれるだろう。彼らもまた、作品の売り上げが様々な目標なり数字なりに直結してくるから」
「……色々と詳しいんだな」
「うちの編集は優秀だからねえ」
 そういえばそうだった。
 そういや、あの編集とは最近どうなんだ? あんまり表に出て来ないから、連絡も取っていないものとばかり思っていたけれど。
「近藤さんは優秀だよ。ぼく以外にも何人もベテランから新進気鋭の作家まで携わっている。……まあ、優秀すぎてたまに何を言っているのかさっぱり分からないことだってあるけれど。恐らくは、それさえも会社からは容認されているのだと思う」
「ああ——こないだの編集の卵をつける、みたいな話とか、か?」
「それこそ、そうだ。あれだって急に言われちゃあこっちも困るよ。ぼくだってプランを練って進めていたのだから、ね」
 プラン、か。
 本来ならばそれを執筆に当てれば良いものを、こうやっておれのために色々ああだこうだと考えてくれているのは、ちょっとばかりおれも気にしないといけないだろうな。
「ああ、言っておくけれどあまり気にしないで良いからね? これはあくまでもぼくが勝手にやっていることなのだから。肇くんがああだこうだ言う筋合いはない。そんなことに文句を言う暇があるのなら、一文字でも物語を前に進めるんだ。そして、完結させるんだ。どんな物語であっても完結しなければ意味がない。画竜点睛という言葉があるように、ね」
 画竜点睛、か——。
 確かに、その通りだなと思う。
 どんなものだって、完成させなきゃ意味がない。
 裏を返せば、完成させなければその評価は全く見当違いなものになることだって有り得る——ということ。
「ところで、物語は何処まで進めたのかな?」
「そこを突かれると痛いんだけれどさ。……まあ、大体半分ぐらいだよ。ただ、さっきも言ったけれどどんなストーリーを、どんなエピソードを選択すれば良いか、ってところで止まっちゃって。賞に応募するということは、上限が決まっているわけだろう? まあ、たまに上限撤廃みたいな賞もあるけれど、それは例外中の例外だな」
「まあ、変にエピソードを突っ込みすぎて消化不良に陥るのは一番良くないからね。そういう意味じゃあ……アドバイスできるのはないかなあ。ぼくだって知りたいぐらいだよ、エピソードの取捨選択の方法を」
「…………そうか」
 仕方ない。
 おれはずっと思っていたのかもしれない。歩に聞けば、どんなことだって解決できるだろう、と。
 しかし、それは考えてみれば浅はかなことだったと言えるだろう。
 どんなことにだって、完璧はありはしないのだから。
「悪かったな、難しい質問をして」
 立ち上がる。
 会話を切り上げようと思ったが故の行動だ。
「別に——きみが気にすることでもないよ。ただ、ぼくはぼくが分かることを言っただけに過ぎない。それがきみの望む回答ではなかっただけ」
「……ああ、そうだな」
 そうして、おれは再び執筆に戻るべく、自分の部屋へと戻っていった——。

  ◇◇◇

 ふう。
 相変わらず、難しい質問ばかりして来るのだから、こちらも背筋が張るというものだ。しかし、ちゃんと肇くんの知りたかった答えを言えたのか——と言われると正直疑問だ。もしかしたらこちらに気を遣っているのやもしれないし。
「……ん?」
 ふとスマートフォンを見ると、着信が入っていた。
「もしもし」
『あー、もしもし? ひつじですけれど』
 電話の主は、こないだ相談に乗ってくれた牧場ひつじだった。
「どうしたの?」
『どうしたもこうしたもないよ。お気に入りのあの子、あれからどうなったかなーなんて思っちゃって。気になった次第なんだけれど』
「順調ですよ、今のところは。壁にぶち当たる時もあるけれど、一応物語は順調に進められているみたい」
『ああ、そう』
 気になっていると言った割には、あっさりした返事だった。
「ああ、そう——って。気になっていた割には随分あっさりとした返事に見えるけれど?」
『ところで、いつ言うつもり? アレについて』
 急に。
 急にぶっ込んでくるな、こいつは。
 何の話? とすっぽかしても良かったのだけれど。
「……気付いていたの?」
『反応的にね。てか、おかしいと思わないのかねえ。一つ屋根の下で——』
「彼が、成し遂げたら」
 ひつじの言葉に割り込むように、ぼくは言った。
『——うん?』
「彼が成し遂げたら、言うつもりだよ。このことは」
 どうせ、いつかは言わなくてはいけないことだ。
 それぐらい——それぐらい、最初から分かっていたはずだった。
『ふうん、まあ良いけれど。応援はしておいてあげます』
「ありがとう」
 まあ、確かにその通りだ。
 肇くんが成し遂げなければ——これは永遠の秘密になる。
 秘密にしておくほどかと言われると、否定は出来ないけれどね。
 そうして、ぼくは通話を切った。
 二人とも、肇くんが頑張ってくれることを祈って。

前へ
目次
次へ