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017



 応募締め切りまであと数日と迫っている。
 原稿は出来上がっていてタイトルも決まっている——なのに、一切おれが安心できていないのには、理由があった。
「あらすじが出来ていない、ねえ」
 くすくすと笑みを浮かべながら、歩はおれの悩みを一蹴した。
「別に笑う程でもないだろうよ」
「まあまあ、そう腐る必要もないだろう。確かに笑ってしまったことは軽率だと思うけれど……。でも、だからといってあらすじが出来ないってことに関しては、ちょっと真面目に取り組まないといけないよね。だってあと何日で期限なんだ? 本文もタイトルも出来上がっているのに、あらすじが出来ていないから応募出来ませんでした——なんて聞いたことがないよ」
「……そんな言い切らなくても良いだろ」
 なんというか、歩はたまに口調がきつい時がある。昔からこうなので最早治しようがないと言われればそれまでであるのだけれど、とはいえコミュニケーションをとる上でそんな行為をされてしまっては困ることもあるような、そんな気がするのだけれどね。
「別に困らないよ。まあ、編集さんは一応アドバイスぐらいはくれるけれど」
「編集……って、あの近藤さん?」
「見た目の割には結構真面目なタイプでね。だからこそ飽きないのだけれど。ああ言う考えの人間ってのは逆に貴重だと思うよ」
「そうなのか?」
 全然ピンと来ていないけれど。
 そういえば冴木さんは如何したんだろう? 最近全く話題に上がることはないよな。
「冴木さんは、近藤さんのもとで色々と頑張っているみたいだよ。こないだもウェブ会議で打ち合わせをしたんだけれど、横に写っていたからね。まあ、打ち合わせに参加したわけではないのだけれど」
「参加はしていないのか……。それじゃあ、他の作家の編集でも?」
「如何だろうねえ。あんまり詳しくは分からないけれど、最初はやっぱり近藤さんがサポートしていくと思うよ。それに作家をそう簡単に見つけることも出来ないし。……そういう意味では肇くんが適材なのかも?」
 新人作家に新人編集を当てがう、って?
 如何なるのか想像がつかないけれどな。
「相乗効果を生み出すかもしれないだろう? そりゃあまあ、如何転ぶか分からないってのは否定しないけれどさ」
 時計を見る。
 時刻は十一時半を回った辺りだった。
「——さて、話はこれぐらいにして。昼ご飯でも食べようじゃないか。何が良い?」
「何、と言われても……」
 この生活になってから、ずっと歩が食事の面倒を見てくれている。
 贅沢な悩みかもしれないが、大抵の料理は食べてしまったのではないか? と思い込んでしまうぐらいだ。
 いやまあ、流石にグラブジャムンとかは食べたことないけれど……。
「それじゃあ、出かけようか」
 急過ぎる。
 本当に、歩の行動はいつも唐突だ。
「……何処へ?」
「別に何処でも良いのだろう? ……こう言う時は相場が決まっている。大抵決まっているお店に行くんだよ」
 そう言って、歩は別室へと出ていった。
 そう言われてしまうと、おれはただ従うしかない——そう、思うことしか出来なかった。




 何処に連れて行かれるのだろう等と思っていたら、到着したのは近所の回転寿司屋だった。
「……ここは?」
 目を丸くして訊ねるおれに、歩は笑みを浮かべて、
「何だい、肇くん。回転寿司という概念をご存知でない?」
「いや、そんなことはないし……。知っているよ、回転寿司ぐらいは」
 ただ、一人では行く機会がなかったな——というだけだ。
 中に入ると、たくさんの人でごった返していた。あまりの圧迫感に吐き気を催してしまうぐらいだ。
 そんなおれをよそに、歩はタッチパネルで何かを操作している。スマートフォンを見ながら何か入力している様子だった。
 入力を終えると、直ぐに下にあるプリンタから紙が出力されてきた。
「おーい、行くよ」
 歩がぶんぶん手を振って、こっちに呼びかけてくる。
 あいつ、人気作家って自覚がないよな。……まあ、顔出ししていないらしいからバレるはずもないのか。
 しかし、手をぶんぶん振るのだけは辞めてほしいものだ。恥ずかしい。
 テーブル席に腰掛けると、おれと歩は向かい合う形になった。
「さてさて、何を食べようかなあ。好きなものを頼んで良いよ」
 そう言って歩はタブレットを陣取って色々と見ていく。
 そうは言うけれど、おまえがタブレットを独占したらメニューなんて見れるはずがないだろう。
「じゃあ、先に注文する? 良いよ、別に。美味しいものを何でも。値段も気にしなくて良いからね。……なんて強がっているけれど、ここは回転寿司だからね。そう食べたって、あんまり高くならないというか」
「それもそうだが……」
 しかし、そう言われたところで悩むのは悩む。
 何を食べようかなんて言われたって、予め決めていたわけでもないのだから、こうやってメニューを隅から隅まで眺めていくしか手段がないのだ。




 結果として、おれが選んだメニューは次の通りだ。
 定番の中トロ、そして海老天握りに納豆巻き、本日の海鮮軍艦に期間限定販売のカキフライ。
 少ないように見えるかもしれないけれど、自分の腹がどれぐらい減っているかの匙加減を判断する有益な材料となり得る量でもある。
 それに、別に回転寿司で一回で注文しなくてはいけない、なんてルールは存在しないのだし。
 対して歩は、というと——ラーメンを注文していた。
 それもただのラーメンではない。味噌ラーメンだ。赤茶色に染まったスープにそれほど薄くもないチャーシューが二枚、メンマも数本ながら入っている。ネギもたっぷり投入されていて、視覚と嗅覚だけでも美味しそうに感じてくる。
「……如何したのかな?」
 あんまりおれがジロジロ見つめるものだから気になったのか——歩はおれに問いかけた。
「いや——あんまり回転寿司でそう言うメニューは注文したことがないな、と思って」
「それじゃあ、ラーメンを食べたことがないのかい?」
 その言い方だと、完全にラーメンを食べたことがない、って話になるだろ。
 あくまでも回転寿司屋では食べたことがない、ってだけだ。きちんと条件を付与して欲しいものだな。
「ごめんごめん、でもさ……、存外珍しいな、と思って。意外とこういうメニューを食べようとは思わないタイプ?」
「回転寿司に来るのも随分と久しぶりな感覚ではあるけれど……、でもそういったものは注文しないかなあ。メニューは一通り見るけれどね」
「メニューを見てそそられるな、と判断出来る材料は何だと思う?」
 七味をラーメンに振り掛けながら、歩は訊ねる。
 いきなり質問を投げかけられたものだから、おれは回答を得るために数瞬の時間を要した。
「……やっぱり写真じゃないか。あとは、メニュー名だろ」
「その二つだよね。味は食べないと分からないんだから。新メニューともなれば一般人は食べていないのだからどんな味かを知ることさえも出来ないし、そもそも他人の評価というのは自分の評価とは絶対に違う。評価に用いる物差しが違うからだ。例えば、ラーメンの場合、ある人は味付けに高い評価をつけるタイプとしても、もう一人は麺のコシや食感などに高い評価をつけるタイプだったりする。十人居れば十通りの判断基準になってしまうよね。口コミだとしても、それは同じだ」
「……つまり?」
「見た目で判断出来る材料は多く取り揃えておいた方が良い。小説だって同じことだ。商業ベースになればイラストも入ってくるだろうけれど、しかしながら賞レースの場合はこれが入ってこない。タイトル、あらすじ、序盤——これらでファーストインプレッションを良くしておく必要がある訳だ」
 成程、言いたかったのはそれか。
 ラーメンを啜って、笑みを浮かべ何度も頷く歩。
 何だか美味そうに見えてきたな。
 おれは中トロを食べながら次はそのラーメンを注文しようなどと思い至るのであった。

◇◇◇

 結局第二陣として本当に味噌ラーメンを注文してしまったおれは、デザートにアイスクリームを食べながら歩にあらすじについてのアドバイスをもらっていた。
「あらすじは要約だ。大体、原稿用紙一枚から三枚分ぐらいに相当する文章量で、十万文字近い本文を纏め上げる必要性がある。如何に面白い、人を惹きつけるあらすじを書くことが出来るか——ある意味、セルフマーケティングスキルがどれぐらい備わっているか見定めることにもなるのだろうね」
「セルフマーケティング……」
 でもそれって、作家になったらあまり使わなくなる能力になるんじゃ?
「そんなことはないよ。確かに作家になれば、ある程度出版社がバックアップしてくれるけれど、マーケティングに際して一切作家が何もしなくて良い、なんてことはないからね。最近はSNSでも活発に宣伝している作家だって居るぐらいだし」
「え? でも歩、おまえはやっていないよな」
「だって面倒臭いし。……一応言っておくけれど、ぼくの場合は例外だから、そこのところ覚えておくようにね」
「何事にも例外があることぐらいは分かるけれどさ……」
 せめて先生役ぐらいは例外を持っていない状態でいて欲しかった。
 アドバイスとかもらいたいし。
「とにかく、あらすじを纏め上げることは大事だよ。客観的に自分の作品を見ることが出来る、貴重な機会でもあるからね」
「客観的に?」
「十万文字の物語があるとして、それを一千文字に縮小しなければならない。それもただ単純にするのではなく、作品の面白みを極力削がない形に……となると、それをするためには先ず、客観的な視点を持たなくちゃいけない。主観的な立ち位置だと、絶対にあらすじから溢れてしまう面白みが出てきてしまうんだよ。けれど、客観的な立ち位置に立てば——読者が読んで『これは面白いだろう』と判断出来る箇所を適切に判断することが出来る。これが、客観的に自分の作品を見る、ということでもあるんだよね」
 客観的に、物語を見る——成程、確かにあまり考えたことのない視点だ。簡単なようで、難しい。さりとて、それは一番大事な考えであることもまた、否定は出来ない。
「……難しいとは思うよ?」
 おれの考えを読み取るかの如く、歩はそう言った。
 続けて、
「だけれど、それをやっていくべきだと思う。誰かが言っていたっけな——最悪の選択肢は、時に最善の選択肢となり得る、って。これって結構面白い考えだと思うよ。あらすじを考えるだけにそんな時間をかけるのか……ってことに関しては、否定しないよ。あらすじをサクッと考えてしまっても構わないし、ラストまで書かなくたって良い場合だってある。けれども、それは商業だからこそ出来る話だよ。世の小説、そのあらすじをきちんと読んだことはあるかな?」
「まあ、少しは……。大抵は、最後まで描かれることはないよな。けれど、それも分かるよ。だって最後まで書いてしまったら、読者はそれを読んで満足してしまうからだろう?」
「分かっているんじゃないか。……それじゃあ、賞レースの場合は如何思う? あらすじは最後まで書かないといけないだろう。これが違う一番の理由は?」
「——ターゲットが読者じゃないから?」
「ご明察。つまりは作家などの同業者が務める選考委員と出版社が読むことになるからだ。そこで素晴らしい成績を収めない限りは、それが世に出ることはない。最近は、それをインターネットで公開していることもあるらしいけれど、それを嫌う人だって居る。自信作だから、推敲をして別の賞に出すことだってしばしばあるからね。……ただ、時にそれはマイナスになる《、、、、、、、、、、、、》こともあるんだ」
「如何して?」
「出版社は、確かに完成度の高い小説を望んでいるよ。推敲を重ねていくことでその一本の完成度が高まっていって、お眼鏡にかなうことも十二分に有り得るだろう。……けれど、出版社はさらにその先を見ている。如何に完成度が高い処女作であろうと、その先が続かなかったり凡作になってしまったりしたら、意味がない。作家を開拓していく以上、作品のバリエーションもまた大事になっていく訳。……難しい話だよね」
 結局、自分でああだこうだ言っていた話を自分で纏め上げてしまうあたり、歩も何となく理解しているのだろう——さりとて、それは痛い程分かる気がする。
「タイムパフォーマンスを重視している、ということなのか」
「と、いうと?」
「最近、作品のタイトルが長文になっているケースもあるだろ。それって、大体の内容が理解出来てしまうぐらいのタイトルだったりすることもあるんだけれど、それで読者はある程度篩にかけているのかな、って。作品を全て読み上げることよりも、タイトルである程度の興味や目星をつけている。それによって、自分がどれを読もうとしているか決めている、みたいな」
「鋭いね。それは事実としては合っている方だと思うよ。……ただまあ、それがどんどん良い方向にいってくれれば良いのだけれどね。悪い方向にばかりいってしまったら——究極は小説というジャンルそのものがなくなってしまうね。肇くん、ファスト映画って聞いたことがあるかな?」
 ファスト映画——何か聞いたことがあるような、ないような。それって確か二時間程度の映画を十分程度の編集をしてラストまで教えてしまうような、そんな動画のことじゃなかったかな。最後まで教えてしまうことと勝手に動画を使ってしまうことが問題になって、著作権法違反で訴えるケースもあったような。
「そう、それだよ。それもまた、タイムパフォーマンスの追求の結果生まれた副産物だ。二時間で一本の映画を見るよりも、ファスト映画の動画——仮に一本十分としようか、それを十本見たとしても、それでもまだこっちの方がタイムパフォーマンスは良い、と。そう考えてしまうんだ。まあ、それはそれでどうかと思うけれどね。やっぱり映画というのは、映画館であれ家であれ、二時間に纏められているのならばそれは作者が良いと思った最高の時間だと思うのだけれどね。だから、それを縮めてしまうのは、烏滸がましいことだとぼくは思う訳だ」
「……結構、ファスト映画に怒り心頭な感じか?」
「当たり前だろう? だって、それによって映画を見る人が減ってしまったら、最終的には作家にも悪影響を及ぼすかもしれないんだから。つまり、メディアミックスが減少する可能性がある、ということだね」
「難しい話だな……。とはいえ、今考えるべき議題でもないような気がするけれどね。今はとにかく、賞に応募して選考に通るか——それから、だと思うのだし」
 何れにせよ、アイディアは出て来た気がする。
 歩にはこれ以上お願いすることは出来ないだろう。とにかく、あとはおれの努力と実力で——何とかより良い未来を掴み取るしかない。
 そう思って、おれは歩との会話を終えるのだった。

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