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018



 そして。
 応募締め切りまで——あと十二時間。
「……あらすじは、こんなもので良いか」
 おれは、何とかあらすじを書き上げるに至った。
 この物語は、とても難しい物語だったと思う。さりとて、どんな物語であろうとも要約することは出来るはずだ。つまりは、物語を一千文字程度に纏めることは、どんな作品であろうとも出来るのである。
 そうはわかっていても——やはり難しい点がある。
「このあらすじで、本当に理解してくれるものか」
 おれは自問自答する。
 あらすじを読んでもらう相手を考えてから、あらすじを考える。
 歩からもらったアドバイスだけれど、これがどうにも難しい。理解はしているけれど、実際に行動を移すのがなかなか大変だ。
 起承転結を立てることも大事だし、あらすじだけである程度内容を理解させなくてはいけないことも大事だ。そいでいて、如何にもこうにもこれがまた難しさに拍車をかけてくるのが、なかなか十万文字の物語を一千文字に凝縮させることが出来ないってことだ。
 十万文字もあれば多少の文章に雑味が入っていることもままある。しかしながら、これが一千文字となると如何なるだろうか? 許されていた雑味が、全くもって無駄になってしまう。十万文字のうちの二百文字と一千文字のうちの二百文字は、数字だけで見れば同じ数字なのに意味合いがこれ程までに変わってしまうのは、それはそれで面白い立ち位置にあるのだと思う。
 かといって、あまりこねくり回す時間もない。
 何故なら、もう時間がないからだ。
 急いで原稿をテキストデータに落とし込む。何度も規約を確認したから合っているはずだけれど、ファイルフォーマットをtxtにしておく必要がある。他の賞ならばワードファイルにするとかPDFにしておくとか、色々とフォーマットも多種多様なものを取り揃えている感じではあるのだけれど、まあ、テキストデータが一番楽ではあるのか。ここは素直に従っておかないと、規約違反として自動的に一次選考さえも通過することは出来ない。
 原稿の提出も大抵はインターネットで完結するのも有難い。一昔前は印刷した原稿でなければいけない賞も多かったような気がする。全くゼロになった訳ではないのだろうけれど、パソコンやタブレットで原稿を完結させる人間も多くなっている以上、こればっかりは時代の流れなのかもしれないけれどね。
 名前に、住所、メールアドレスに電話番号——そしてペンネームを入力する。
 学生時代に使っていたペンネームだと恥ずかしさが優ってしまい、新しいペンネームを入れることとした。本名でも良いのだろうけれどさ、それってずっと続けていく以上、なかなか本名をインターネットの海に流す気にはならないんだよな……。これを言うと歩の立ち位置を否定することになるんだけれど。あいつ、良く本名で作家をしようと思ったよな。まあ、それで成功しているから別に良いのか……。今度、何で本名で作家をすることにしたのか聞いてみるか。
 ともあれ、入力項目にどんどん情報を追加していく。
 最後に原稿をアップロードして、あらすじを追加して。
 そして、ページの最後には確認ボタンがある。
 押すことで、内容が一旦確定されて、これで送信しても問題ないか——という最終確認をさせられる。
 戻るのなら、修正するのなら、ここが最後だ。
 このページの最後にある送信ボタンを押したら、この原稿は賞に応募されたこととなる。
 思えば長いようで短かった——歩に焚き付けられて、このように同居することとなって、作品についてのたくさんのアドバイスをもらって、Vtuberの作家に読んでもらってアドバイスをもらったこともあったっけ。
 恵まれている——間違いない。それだけは、断言出来ることだろう。
 さりとて、それは賞の選考委員には関係ない。
 どんなコネがあろうとも、スタートラインは同じ。
 スタートラインもゴールテープの位置も変わることはない。走るスピードやスタミナこそは違うかもしれないけれど、相手から与えられる環境だけは同じだ。
 プロであろうと、アマチュアであろうと——一文字も作品を書いたことのない素人であろうとも。
 深い、深い溜息を吐く。
 これで——これで、終わる。
 そうして、おれは送信ボタンをクリックした。
 少しだけページロードを挟み、『投稿お疲れ様でした。選考結果をお待ち下さい』と言うメッセージが表示され——おれは一気に力が抜けた。
「投稿……したぞ……!」
 これでもう、おれに出来ることはない。
 先ずはこのことを歩に報告せねばなるまい——そう思って、おれは背伸びをしながら立ち上がると、部屋を出ていくのであった。




 歩の部屋に入るや否や、
「その感じからすると、無事に投稿を完了したのかな?」
 そう言われてしまい、まるで心でも読まれているのか——などと思ってしまっていたが、実際はそうではなかったようだ。
「今日の二十三時五十九分——即ち、日付が変わるまでに投稿しておく必要があるだろう? 今は午後三時だ。夕食にはまだ早いからね。となると考えられることはただ一つ……って訳だ」
「成程。冷静に分析した結果、ということか」
「これぐらい、簡単に思いつくことだと思うけれどね? ……まあ、ともあれ、先ずはおめでとう。きみの作品はこれからどんどん多くの人に見られて評価されていくから、始まったばかりではあるのだけれど、一先ずはきみがやるべきことは以上だ」
「……だよな」
 歩に言われて、ドッと疲れが出たような、そんな感じがした。
「まあ、今はのんびりと休むが良いよ。仮に作家になった場合、休むことは基本的にないのだからね。執筆はフルマラソンで、ゴールしたと思ったら次の執筆が始まる——なんて良く言ったものだと思うよ」
「……あんまり聞きたくなかったな、それ」
「そういえば、きみって今回応募する賞のページ、まじまじと見たことあったかい?」
 唐突に言われたが、言われてみればあんまり見たことがないような気がする。
 あらすじを含めて九万文字以上十三万文字未満とか、どの作品を望んでいるかとか、そういった基本的な事項しか確認していないと思う。
「それは困るなあ……。審査員、ちゃんと見た?」
「え?」
 おれはスマートフォンで賞のページを見る。
 そこに書かれていた審査員一同の名前に、確かにこう書かれていた——『中島歩』と。
「え?」
 おれはもう一度歩に訊ねた。
「この賞に、ぼくも参加しているんだよ。今回は選考委員として、ね。勿論、贔屓をするつもりは全くないから、そのつもりで」
 歩は屈託のない笑顔をして、おれの疑問にそう答えるのだった。




 振り返ること、暫く。
 確か肇くんにちゃんと賞の応募を勧めた辺りから、だったと思う。
 ぼくはオンラインミーティングで、編集の近藤さんと打ち合わせをしていた。
「……本当に受けてくれるんですか?」
 近藤さんは目を丸くして、ぼくの意見を聞き返していた。
「ええ、ですから、受けますよ。今回の賞の審査員について」
「いや、まあ……かつてこの賞でデビューした中島先生に参加してもらうのは、凄く嬉しいことではあるんですけれど」
「だって、そちらからオファーしたことじゃないですか。ずっと固辞してきましたけれど、いざ了承したらビックリされるのはどうかと思いますが」
「いやいや、すいません。ですが……、驚いているんですよ。編集部一同。申し訳ないことを言いますが、今までそう言った行事に参加されなかったじゃないですか」
「ああ、そういえばそうでしたっけ?」
「そうですよ」
 ぼくの疑問に肯定して言う近藤さん。
「今まで何度この賞に参加して欲しいとラブコールを出しても、全然反応して下さらなかったじゃないですか。新作を書きたいからだとか、審査員になれるかその自覚がないだとか、色々な理由をつけて断ってきたので……。まさか急に手のひらを返されるとこちらも驚きと言いますか」
「まあ、確かに今回のミーティングの目的って、新作の打ち合わせでしたからね? それがいきなりそんな発言に発展してしまうと、驚いてしまうのも些か致し方ないことかもしれませんけれど」
 しかし、それはそれ。これはこれ。
「ええ、だから、だからこそ……驚いているんですよ。いや、まあ、未だ代理の方へアプローチはしていませんから、未だ中島先生で間に合うのですけれど。でも、そんなことより……」
「そんなことより?」
「どういう心変わりがあったのか、教えてもらえませんか? 別に詮索するつもりはないんですけれど、急に変わったからには何か理由があるのだろうな、と……」
「ああ、そう言うことですか」
 別に大した理由ではないんですけれどねえ。
「こないだプロットを提出したの、覚えていますか。ぼくのではなくて、ぼくの知り合いの」
「ああ、言っていましたね。……もっと良い舞台で、見せてあげますとか言っていたような」
「今回、この賞に彼は応募するつもりです」
「……成程?」
「それで、ぼくは見てみたくなったんです。彼が壇上で、大賞を受賞している姿を。勿論、いくら身内が入っていようとも贔屓は一切しません。寧ろ、全ての作品に対して辛口評価さえするつもりです。これから作家としてやっていく以上、甘えなんて見せてはいけませんから」
「……余程評価しているんですね」
 近藤さんはポツリとそう言った。
「そう思いますか?」
「ええ、思いますよ。そうでなければ、いくらあなたであっても審査員を了承したりしないでしょう。……気になってきますね、その作品とやら」
「いつか——いつか、見る日が来ると思いますよ。きっと、ね」
 まあ、先ずは作品が完成しないと話にならないんですけれどね。
 ぼくはそう言って、オンラインミーティングを締め括った。




 再び、現代。
「……そんなことが」
 おれは、歩から聞いた話を何とか自分の中で噛み砕きながら、出てきた言葉がそれだけだった。
「期待しているんだよ、きみには」
 歩はそう言うと、笑みを浮かべた。
 笑ってくれたところで、如何したら良いのやら——さっぱり見当がつかなかったのだけれど、
「期待、ったって……。おれがそんなにいい作品を書いたかどうかなんて、判断するのは審査員だろう?」
「そうだよ。けれど、書いた作者が自信を持たないで如何するんだよ。自分が面白い作品を書き上げたということ——それを先ずは一番大事に思うんだよ」
「……如何して?」
「自分の頭の中にある世界観は、自分しか表現できないからだよ」
 はっきりと。
 こうもはっきりと言い切られると——まるで後頭部を金属バットで殴られたような、そんな衝撃を受けてしまう。
 言いたいことは、分かる。
 けれど、それを言ったって……。
「難しい話だよ。作家として続けていく以上、想像力は無限に持っておく必要がある。作家となったら、アイディアの引き出しを幾ら引き出せるか——それが作家としての強い特性だと思う」
「作家になってからだと、その引き出しを増やすことは出来ないのか?」
「出来る出来ないと言えば、出来るんだろうけれど……、難しくはなってくるね。一度書き上げた物語のコピーであってはならない。完全にオリジナルの話ならもっと難しいし、続編となるとさらに、だ。如何に読者を満足させるか……なんてことを考えたら、まあ、はっきり言ってなかなかそれを成し遂げることは出来やしないと思うよ」
「……何というか」
 途方もない話だ。
 当たり前だが、歩はおれにとってみれば作家としての先輩に当たる。だからこういった話は何でもかんでも吸収しておくべきなのだろうけれど——。
「まあ、それを吸収したところで、実際に使えるかどうかって話だけれどね? だって、現段階では未だきみは作品が評価されていない段階だ。数多くの作家志望者と何一つ変わりはしないのだからね」
「そりゃあ……」
 痛いぐらいに分かっているよ。
「分かっているのなら、わざわざ聞く必要もあるまい?」
 歩は首を傾げて、おれに言った。
 そりゃあ、そうかもしれないけれどさ。
 原稿を出し終えて、あとは待つばかり——って時に、聞きたい質問の一つや二つぐらい出てきてもおかしくはないじゃないか。
「まあ、不安に思う気持ちも分かるけれどさ……。どんと待ち構えておくのも良いと思うけれどね? これだけで終わりってわけじゃない。仮にこれで作家になったとしたら——寧ろここがスタートラインになるのだから。スタートラインに立ってからは、終わりのないマラソンの始まりだ。自分でゴールテープを定められるのは、ある意味でやりやすいのかもしれないのだけれど」
「やりやすい……か」
 そうは言うけれど、難しい。
 そりゃあ歩は既に作家としてデビューして何作も出してきている。そういう意味では作家になってからの数多くの躓きやすいポイントを乗り越えてきているはずだ。だからそういう風に何でも分かっているような感じで話をすることさえも出来るのだろう。
「……難しいのは理解するよ。ぼくだって昔はそうだったから。けれど——それを乗り越えるのもまた、作家として大事なプロセスだと思うよ」
 コーヒーを啜りながら、歩はさらに続ける。
「ひとりぼっちで苦しんで何とか正解に近い選択肢を導き出すのも良いし、友人を頼って協力してより良いアイディアを出すのも良いし……、人生に完璧な正解が存在しないのと同じように、この選択肢一つひとつに正解不正解と言えるそれは、必ずしも存在しているとは言い切れない。三つ選択肢があるとしても、そのうち一つが正解とは言えないんだよ。グッドエンドばかりじゃない、ビターエンドもあるってことだね」
「……言いたいことは、つくづく分かるけれど」
 それでも、納得しきれない。
 ただ、ゼロか一かの損得勘定では言い切れない何かがあるというのもまた、紛れもない事実だろうと——思う。
 だから、おれはその言葉に納得せざるを得なかった。
 きっと、これが正しい選択肢であるとは限らない。
 それは歩も理解しているはずだし、理解しているからこその、あのアドバイスだと思う。
 だけれど、これが最善の選択肢であることは——おれは信じて疑わないのだった。

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