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019



 数ヶ月後、一次選考通過の発表日。
 おれはパソコンの前で祈るように画面を見つめていた。
「……祈ったところで何も変わりやしないよ。現実は、非情だからね」
 歩がおれを見かねてそう言う。
 五月蝿い、おれだってそんなことは分かっている。
 しかし手を尽くした以上——あとは神に祈るしか道はないはずだ。そうだろう?
「そうかなあ。正直祈ったところで何も変わらないと思うけれどね? だって、きみは全力を尽くした訳だし。完璧ではなかっただろうけれど、その時点での全力を叩き出した。そうだろう。だったら、前を見て歩く意思を示せば良い。ただ、それだけの話だ」
「……何というか」
 何というか、難しい考えばかりを口にするよな、おまえは。
「何をするでもない。これは、きみ自身の物語だ。主人公は——誰でもない、きみだ」
「……何を突然」
「誰だって人生の主人公は自分なんだよ。決して、決して……脇役に徹するなんてことはあり得ない。そう考えづらいのは確かではあるのだけれどね」
 歩は言う。
「この世界というのは、心底普通な世界だ。超能力や魔術なんて概念もなければ、異世界に転生することさえもきっと有り得ないだろう。だからこそ人々は実際には存在し得ないものをファンタジーと位置付けて、それを吸収しようとしたがる。それを否定するつもりはないし、それに乗っからないとやっぱり作家としては如何かなとも思ってしまう。流行り廃りを敏感に感じ取らないと、この業界では生きて行けないからね。無論、それまでに作家としてのブランドを高めていく手もあることにはあるけれど」
「歩は如何なんだ?」
 おれは問いかける。
 そう言えば、ずっとおれは歩の作品についてあまり聞こうとしなかったような、そんな気がする。
 自分の作品に集中していたから、と言えば聞こえは良いけれど、実際にはそんな余裕がなかった——とでも言えば良いだろうか。
「……ぼくかい?」
「歩は、何本か作品を出しているんだろう。正直、それが如何いった作品なのか、というのは知らないけれど……。でも、ジャンルはみんなバラバラだったり、しないのか?」
「バラバラとまでは言わないけれど、一つ一つ独立した作品ではあるよ。人によっては、全て同じ世界観で繋がっている話を延々と書いている人も居るし、そればっかりは人によるとしか言いようがないね。それに、そういう独自の世界を持っている人は、やっぱりファンがつきやすいし、仮にファンが増えれば売り上げも固いよね。そういう意味では、ありなのかも」
「……成程」
 何というか——難しい話題ではある。
 簡単にやりきれないというか、それをクリアするにはなかなかに高いハードルを乗り越えないといけないとか、そういう話もあるのかもしれない。
「いずれにしても……、新人作家が最初から壮大な世界観を提示した物語を提供することはなかなか難しいんじゃないかな? それもまた、持ち味と言われるやもしれないけれど……、それを評価してくれるのは難しいよ。だって、それを活かして次作を出してくれるかどうか? が焦点になる場合もあるのだからね」
「……成程?」
 理解したような、していないような。
 シーソーに乗った気分だ、まるで。
「理解する必要はないよ、少なくとも今はね。長く活動を続けていけば、いずれは気づくはずだから。とはいえ、それもまた自分流の考えになるばかり——というのも、それはそれでどうかと思うけれど」
「何が言いたいんだ?」
「難しいことを言うつもりはないよ。これっぽっちもね」
「そうかな……」
 考えれば考えるほど、頭が痛くなってきた。
 きっと歩なりの考えがあってこんなことをしているのだろうけれど、だとしてもちょっとは理解しづらい。もう少しこちらに配慮して欲しいぐらいだ。
「……そうだ。そろそろ時間じゃないかな?」
「時間?」
 おれは時計を見る。
 気づけば、パソコンの前に居てからもう一時間は経過していた——嘘だろ? 時間の経つのはあまりにもあっという間だ。何かいけない薬でもやっているんじゃないかと思うぐらい、時間の経過するスピードが速く感じる。
「そんなことは全くないのだけれどね……。ただ、人は夢中になると時間が経つのも忘れてしまうぐらいだし、そういう感じであっという間に終わってしまった、などと思ってしまうこともあるのではないかな?」
「そうかもな……」
 適当な相槌になってしまったことは、許してほしい。
 しかしながら、今置かれている現状を踏まえるに、こればっかりは仕方ないのだ。
 画面をリロードすると、そこには一次選考通過者発表と書かれた文字がデカデカと並べられていた。
 ここまで大きく並べられていると、少し恥ずかしい気持ちにもなるが、先ずは結果を見なければならない——そう思いながら、おれは自分のペンネームが掲載されていないかを見始める。
 こんなの、まるで受験番号を探す受験生の気分だ。
 番号が書いてあれば天国を見るが、番号が書かれていなければ一転地獄を見る。
 はっきり言って、そんなことは経験したくなかった。
 だから、おれは自分のペンネームが書かれていることを切に願って——画面をスクロールしていった。
 そして、
「……あった」
 おれは見つけた——その名前を。
 見間違うはずのない、おれの第二の名前——ペンネームを、だ。
「あった……あったよ、歩。おれのペンネームが。一次選考を通ったんだ、おれの作品が……」
 歩もその画面を見ているはずだから、おれと同じタイミングで結果を享受しているはずなのに、おれは誰かに言いたくなって、隣に居る歩にそう言った。
 歩は画面を見ながら、
「ああ、うん。先ずはおめでとう、と言えば良いのかな? けれど、先はまだまだって感じだよ。前途多難とまではいかないけれど」
「前途多難……。まあ、そう言ってもらっても致し方ないだろうな。きっと」
 自惚れているつもりはない、というと嘘になる。
 けれど、一次選考を突破したこと——作家になれるチャンスに少しずつ近づいていることぐらい、喜んだって良いじゃないか。
「別に喜ぶななんて一言も言っていないし、思っていないよ。嬉しいと思ったことには歓喜の気持ちを表現すれば良いのだし。けれど、現実はそう甘くないってこと。仮に次の選考に通らなければ? また新しい作品を描かねばならないだろう。そいで、最後に作家になったとしても……前も言ったかもしれないけれど、そのあとは終わりのない長距離走の始まりだよ。ただ走るだけではなく、定期的に結果を出さねば生き残れない。マラソンにとらえるならば、定期的に一キロあたりの走破時間について何かしらの記録を作るぐらいじゃないとダメだってことだよ。毎度レコードを叩き出すのもどうかと思うけれど。ま、それもまた才能だね」
「……おまえは如何思うんだ?」
「ぼく?」
「おまえ以外に誰が居るんだよ。それともおれは今まで幽霊とでも話をしていたって言うのか?」
「冗談きついね」
「おまえが最初に言い出したんだろ」
 こういうやりとりが出来るようになったのも、ある意味原稿という束縛から解放されたからかもしれない。
 もしかしたら、学生時代にもこんな如何でも良いようなやりとりをしていたのかもしれないな——なんて思うと、懐かしい気分にもなってくる。あまり学生時代のことを思い返すことなんて、ないのだけれど。
「……秘密」
 歩から言われた言葉は、予想外のことだった。
 呆気に取られてしまって、ポカンと口が開いてしまったぐらいだ。
「秘密、って……」
「秘密は秘密、だよ。別に良いだろう、それぐらい。言えないことの一つや二つぐらい持っておくものだよ、作家としてはね」
「作家としては、って……」
「教えてあげるよ、肇くん。その代わり——きみが作家になったら、ね」
「え?」
 それって、本当に実現出来るかも怪しいのに。
 投稿した本人が絶対的な自信があるわけでもないのに、そんなことを言って良いのか。
「賭けだよ、これは。ぼくは肇くんが素晴らしい作品を書くことはずっと前からわかっていた。きみだって、作家になるはずだった。ぼくと同じ土俵に立つはずだった。だのに、きみはできなかった。それが悔しくて仕方がなかった」
「悔しい、って……」
 それはおれ自身が引き当てた、いわば自業自得の環境だったのに。
 歩がどうこう言うことでもないし、責任を感じる必要だってないはずだ。
「だけれど、きみはここまでやってきた。アドバイスこそもらっていたとしても、これを達成したのはきみの実力だ」
「いやいや……そこまで自分が素晴らしい人間だとは思っちゃいないよ」
「だから、ぼくはもう一歩頑張って欲しいと思ったと同時に、仮に作家になった場合、ライバルになりうるのだろうとも思った」
「ライバル……」
 歩からは何度も聞かされていたけれど、確かに作家になったら今作家として活動している人間は全員商売敵ということになってしまう。同じジャンルを書いている作家が一万人居るとしたら、その一万人全てが、ということだ。
「……良いんだよ」
「良い?」
「作家になってから、ぼくは孤独を感じていた。いつまで書いても読者の評価を見なければ書いたとは言えない。誰かに言えるはずもなく、延々と孤独な戦いを続けなければならないと思っていた。作家になるということが、これほど大変なのかということさえも気づけなかった訳だから」
「……、」
「けれど、今は違う。きみがもしかしたら作家に、いいや、必ずなるよ。作家にね。なったとしよう、そうなればぼくはとてもやる気が出てくる。作家としてのプライドも保てるようになるね。書いても書いてお満たされなかった今が、ようやく終わりを迎えるのだと——そう思える気がするよ」
「流石に……流石に気が早いような気もするけれどな? それを言うのなら、作家になってから言うべきであって」
「あの作品で作家になれないのなら、ぼくは審査員の目を疑うよ」
 おまえも審査員のはずだろ。
 ってかその発言は審査員として如何なんだ。まるで、おれの作品を大賞に仕立て上げるために審査員になったような——。
「はっきり言うけれど、それはない。仕事は仕事だ。割り切って対応するつもりだよ。けれど……今言ったことを誤り訂正するつもりは毛頭ないよ。きみの作品は——絶対に売れる。間違いない」
 歩がそう言うのだから、そうなのだろうか……などと思いながらも。
 おれはまだ見ぬ次の選考の日を確認して、今からワクワクが止まらないのだった。
 本当に、本当に、作家としてスタートラインに立とうとしているのを、少しばかり実感するのであった。

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